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【森下仁丹の町名表示板】市民にみな効く 道案内

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写真ひっそりと路地裏の塀にかかる森下仁丹の町名表示板=京都市下京区、小玉重隆撮影イラスト絵・グレゴリ青山写真琺瑯看板研究所長・佐溝力さん(63)

 軍人のようなひげの男性と「仁丹」の2文字が一緒に描かれた、町名表示板。京都市の路地裏を散歩すると、こんな細長いほうろうの看板をよく見かける。

 この表示板、「森下仁丹」(大阪市中央区)が1910年から東京、名古屋、大阪など全国の都市に設置した。戦災などで多くが失われ、今もまとまって残るのは京都ぐらい。「区」を「區」と書くレトロな墨の書体が郷愁を誘い、古い町家の多い風景にぴったりなじむ。ほうろうのためか年月を経てもきれいだ。京都の和菓子のしにせ「亀屋良長」7代目当主、吉村良之さん(66)は「若い頃、自転車で菓子を配達する時、よく表示板に助けられた」と振り返る。

   ◇

 しかし、なぜ仁丹の会社が設置したのか。「もちろん来訪者や郵便配達人が、すぐ家を見つけられるようにです」と同社。創業者の故森下博社長は「広告は商売の柱。世の中に役立つものでなくては」と考え、町名表示だけでなく、「天は自ら助くる者を助く」など様々な金言を入れた「金言広告」にも力を入れた。こうした一連の広告戦略があたって仁丹の知名度は飛躍的に伸び、大ヒット商品となった。

 それでは、ひげの男性は誰か。「ドイツ宰相ビスマルク」など正体には諸説があるが、博社長に2代目が聞いた話によると、「薬の外交官」。仁丹を世界の人の健康に役立てたいとの夢があったとか。

   ◇

 同社は戦災で資料を失い、どこに何枚設置されたのかは不明。3年前、社員が京都市中心部を歩き、かつては辻辻にあったとされる表示板の現況を調べ、地図を作製した。その地図を手に下京区の綾小路通と仏光寺通を歩いてみたが、地図にあった11枚のうち確認できたのは5枚。しかも2枚は「外交官」が欠けていた。

 「京都・もう一つの町名史」の著者で元高校教師水谷憲司さん(75)は、町名表示板に関心を持ち、十数年前、京都市内外で約1200枚を撮影した。「子どもの頃はこの表示板で通り名を覚えた。最近は町家が壊され、新しい家が建ったり駐車場ができたりして、3〜4割は失われたのでは」

 そういえば、ひと昔前は中高年男性の必携品でもあった銀粒の仁丹も、あまり見かけなくなった。同社は、主に40代のビジネスマン向けに、においが少ないカプセルタイプの「JINTAN116」(医薬部外品)を発売。若い世代へ浸透に懸命だ。

 明治の時代にいち早く企業の社会貢献に目をつける一方、自社の宣伝もちゃっかり忘れなかった大阪商人。京のまちに残る仁丹の町名表示板はそのたくましさの“生き証人”かもしれない。(田中京子)

■推薦

琺瑯(ほうろう)看板研究所長・佐溝(さみぞ)力さん(63)

ナポレオン帽 あこがれの的

 ほうろう看板の美しさにひかれ40年近く。約6千枚のコレクションを愛知県豊川市の自宅で公開しています。うち森下仁丹の町名表示板は5枚。京都、奈良、滋賀、大阪のもの。ひげの男性は不思議ですが、ナポレオン帽も大礼服も、当時はあこがれの対象だったのでしょう。様々な世相を反映し、デザインも面白いほうろう看板が、テレビCMやネット広告に代わられ、減っているのが寂しいですね。

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