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【高山彦九郎像】土下座じゃない 拝礼だ

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写真三条大橋たもとの高山彦九郎像。今、彼のことをどれだけの人が知っているだろうか=京都市東山区、小玉重隆撮影イラスト絵・グレゴリ青山写真河合敦さん

 京都・三条大橋の東のたもとに、ちょっと変わった銅像がある。おとなの背丈より高い大きな台座にヒゲ面の男が座ってひれ伏している。像といえば、高知・桂浜の坂本龍馬も、上野公園の西郷隆盛も、札幌のクラーク博士も、普通は立っているもの。座っているのは奈良の大仏様か渋谷駅前のハチ公ぐらい。京都市観光企画課に聞くと、「みなさん、土下座像と呼んでます」。京都の大学に通った同僚も「飲み会の待ち合わせは『ドゲザで6時』が合言葉」。確かに土下座をしているように見えるが、そもそもこの人だれ?

   ◇

 間近に行き、台座に刻まれた名前を見て驚いた。高山彦九郎先生ではないか。江戸後期、諸国を行脚して尊王論を説いた「寛政の三奇人」の一人。幕府の追及を受け、福岡・久留米で自刃したが、「尊王運動の先駆者」として幕末の志士たちに強い影響を与えた。

 久留米の中学、高校に通った記者は、当時から名前だけは知っていた。というのも彦九郎の名前を冠した剣道大会があり、剣道部だった記者も出場した。1回戦でとっとと負け、「彦九郎先生に恥ずかしかぞ!」と監督に一喝された覚えがある。「きっとエライ人なんだろう」と思っていたが、約20年ぶりの思わぬ再会だ。でも先生、なんで土下座なんですか?

 台座にはこう記されている。「京都に出入りする折には、この銅像の姿のように京都御所に向かって拝礼した」と。つまり「ゴメンナサイ」という意味の土下座ではなく、礼儀正しく拝んでいる姿というわけだ。確かに像は京都御所のある北西を向いている。

   ◇

 できたのは戦前の1928(昭和3)年。有志らが寄付を集め、高さ約2メートルの大銅像を建てた。青山忠正・佛教大教授によると、彦九郎は戦前の教科書には楠木正成と並んでよく登場した。「天皇制国家の下、忠君愛国を国民に刷り込むには格好の存在だったのでしょう」。44年に金属供出で撤去され、61年に再建されたが、「価値観が一変した戦後は教科書から消え、忘れられてしまった」。

 本人の意思とは無関係に、落差の激しい評価を受けてきた彦九郎。だが、像は生き残り、京都の待ち合わせ場所として確固たる地位を築いてきた。自分を知らない世代が像を愛用していることを知ったら、彦九郎はどう思うだろう。出身地の群馬県太田市では、全国を歩いて各地の社会状況を膨大な日記に残した「旅の思想家」として再評価する動きもある。

 もう一つの京都の代表的な待ち合わせ場所、四条河原町の阪急百貨店が今月22日に閉店する中、いつまでもその地位に座り続けてほしい。ね、先生?(深松真司)

■推薦

歴史作家 河合敦さん(44)

なぜか気になる、あの表情

 中学3年の修学旅行で京都へ行った時、初めて見てびっくりしました。土下座して顔だけが上を向いているその異様さ。当時は名前も知らなかったけど、あまりにインパクトが強くて目に焼き付きました。実は大人になった今も、京都に行った時は立ち寄っています。癖みたいなもの。なぜか気になる、あの切々と遠くを見つめる表情が。見ると安心するというか、ひかれるものがあります。

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