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ますます勝手に関西遺産

【旧大阪プール】聞こえる?あの日の水音

2011年3月9日

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写真:扇町公園に残る旧大阪プールのスタート台=大阪市北区、中里友紀撮影拡大扇町公園に残る旧大阪プールのスタート台=大阪市北区、中里友紀撮影

写真:学生の競泳=1962年拡大学生の競泳=1962年

写真:大崎喜子さん拡大大崎喜子さん

絵:絵・グレゴリ青山拡大絵・グレゴリ青山

 JR大阪駅から東へ約1キロ。扇町公園(大阪市北区)の南側の入り口に、数字が刻まれた直方体の石のモニュメントがある。実はこれ、かつてここにあった市営大阪プールのスタート台。<1>から<9>までのコースナンバーが刻まれている。15年前、大阪プールが港区に移転新設されたのに伴って、取り壊されたが、スタート台だけがプールの思い出として残された。

 この屋外プールができたのは1950年。競技用50メートルプールと飛び込み用プールをU字形に囲む常設スタンドは、2万5千人が収容できた。日本水泳連盟発行の「水連四十年史」(69年)によると、「スタート台に背泳のスタート用の握り手がつけられたのも最初の工夫であった」とある。公園のスタート台にもこの握り手がある。

 開場記念として、米国、オーストラリアの一流選手を招いて日米豪国際選手権が開かれ、「フジヤマのトビウオ」の愛称で知られた古橋広之進も出場した。レースの距離はヤード制が採用され、「四十年史」では「プールの端にヤード制にした仮設ターニング台を設けて行った」と記している。58年の日豪国際では200メートル自由形に出場した山中毅が世界新記録で優勝。59年には日米対抗で、山中が400メートル自由形の世界新を更新するなど、半世紀近くにわたって数々の名勝負が繰り広げられた。

 競泳だけではない。シーズンオフにはステージを設けてスポーツやコンサート、集会にも利用された。最も有名なのが57年10月に3万人の観客を集めたという、力道山対ルー・テーズのプロレス世界選手権。「二人とものびる」の見出しでスポーツ面で報じた当時の朝日新聞によると、後(うしろ)岩石落とし、空手チョップの応酬の末、引き分けに終わった。59年11月には、矢尾板貞雄がアルゼンチンのペレスに挑んだボクシング世界フライ級タイトル戦が行われ、2万3千人が固唾(かたず)をのんで見守った。

 映画のロケにも使われた。加山雄三が大学の水泳選手を主演した「海の若大将」(65年)では、クライマックスの日豪対抗水泳の場面が撮影された。スタンドを埋めた観衆が応援するなか、力泳する加山の姿が映り、今はない大阪プールの威容を見ることができる。

 高校生のとき、間もなく閉鎖される大阪プールで開かれた競技会に出場した大阪市内の会社員華崎陽子さん(33)は「水泳の歴史を刻んだプールで泳げたことは、貴重な体験でした」と振り返る。

 時折、散歩の人が腰掛けて休憩したり、子どもが遊んだりする公園のスタート台。古橋、山中ら数多くのスイマーや、力道山の雄姿など観客の様々な思い出が刻み込まれているのだ。(長谷川千尋)

■推薦

メルボルン、ローマ五輪の競泳日本代表だった大崎喜子さん(72)

自分の本領発揮できた場所

 初めて大阪プールで泳いだのは高校生の時でした。プールサイドが広々としていたためか、50メートルプールが何となく短く感じられ、リラックスして泳げるプールでした。観客席も立派で、高校生の大会でも満席になるほど、当時は水泳は人気がありました。1954年から9年間で、自由形の日本記録を97回マークしましたが、その多くは大阪プールでの記録でした。思い出の場所です。

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