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ますます勝手に関西遺産

【日本一】 大阪の心意気ここにあり

2011年3月23日

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写真:「日本一」の交差点。全国一でもなんでもなく、「日本橋1丁目」を略し「ニッポンイチ」と読むだけだ=大阪市中央区、中里友紀撮影拡大「日本一」の交差点。全国一でもなんでもなく、「日本橋1丁目」を略し「ニッポンイチ」と読むだけだ=大阪市中央区、中里友紀撮影

写真:日本一拡大日本一

写真:日本一拡大日本一

写真:絵・グレゴリ青山拡大絵・グレゴリ青山

写真:日本一の岸本酒店店主・岸本幸一さん拡大日本一の岸本酒店店主・岸本幸一さん

 ウエロク(上本町6丁目)、タニキュウ(谷町9丁目)、テンロク(天神橋筋6丁目)……。地名を略すのが大好きな、忙しき大阪人。そんな短縮地名の“最上級”が何か、ご存じか。それは「日本一」、ミナミの日本橋1丁目。なんせ、ニッポンイチなのだ。

 江戸初期に道頓堀川に架けられた日本橋の界隈(かい・わい)は、大坂の南の玄関口。橋の南詰め付近は、18世紀末に日本橋1丁目という地名に。なぜニッポンバシかは不明だが、東京・日本橋のニホンバシと区別するためだったとか。「紀伊国屋文左衛門を紀文、伊藤忠兵衛を伊藤忠。大阪に限らず、江戸期から略し形は存在した」と、「大阪ことば学」を著した尾上圭介・東大教授。「もたもたせず、キュッと縮めて分かればいいというのは、いかにも大阪人の好みにあう」

 他にない縁起の良い名を担ぎ、この地から夢を追った男がいた。石川県出身の谷稔さん(故人)。理容師を目指して御堂筋に面したガスビルの下にあった有名店に奉公し、戦後間もなく26歳で独立。日本橋1丁目交差点の北西角近くに店を構え、屋号を「モモタロー」にした。「日本一を目指したからこそ。とにかく目標に向かって突き進む人でした」と弟子で、屋号を継いだ市橋松雄さん(68)。60年代、心斎橋大丸の真南の一等地に個室サロンを備えた7階建てビルを建設。「散髪屋がビルを建てた」と話題に。普通散髪が600円の時代に、倍かかるモモタローの客になることは、ステータスシンボルだった。「でも、奇抜なことはせず、基本をしっかり忠実にやる職人だった」。その後、ニューヨークにも進出。世界的な技術大会でも入賞を重ね、欧米でも「ミノル・タニ」として知られ、3年前に87歳で他界した。

 「日本一」を冠する店は、今も付近あちこちにある。コインパーキング、居酒屋、マッサージ店、お堅い銀行までも。大阪歴史博物館学芸員で日本一出身の八木滋さん(41)は「受験生時代、大学の入学金を振り込みに行ったとき、領収印の『日本一支店』の字面を見て初めて意識した。ジャパニーズナンバーワンや、と思うと縁起ええなあと」と振り返る。

 ミナミの歓楽街、なんばグランド花月、でんでんタウン、黒門市場、国立文楽劇場――。いろんなものがごった煮のまま、五感に響くまち。日本一界隈は、大阪の象徴でもあるのだ。

 そういえば、事業仕分けの最中「2位じゃダメなんでしょうか」と言って物議を醸した国会議員がいた。彼女に助言してあげたい。「大阪では1位やないとあかんねん」と。だって日本一はあるけど、日本二はないのだから。(宮崎園子)

 ■推薦

 「日本一の岸本酒店」店主、岸本幸一さん(49)

 お客さんとの距離感縮めるオチ

 9代目の僕が生まれた1961年から日本一に店を構えています。「NIPPON ICHI」の字が入ったロゴは25年ほど使ってますが、若い人や大阪以外のお客さんはまず、「?」と突っ込んできますね。お客さんとの距離が近くなるスパイス、オチみたいなもんです。近くにある本家との関係で屋号を分かりやすくしただけなんですけどね。でも日本一というからには、どこよりもお客さんの力になる酒屋に、と思って頑張ってます。

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