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魅知との遭遇

(11)角屋もてなしの文化美術館 京都・島原

花街の風情 志士も愛した

[新聞掲載]2007年06月28日

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写真うちわや扇をかたどったモノトーンの世界に、灯が色を添える

 扇形、うちわ形、長方形。様々な形の障子から、陽光が差し込む。

 約360年の歴史を持つ花街、京都・島原にある「角屋(すみや)もてなしの文化美術館」。この部屋は「青貝の間」といい、壁や建具に青貝がちりばめられている。外にはベランダがあり、異国情緒満点だ。建物は18世紀末に現在の形になり、1952年、国の重要文化財になった。

 角屋は、芸妓(げいこ)や太夫を呼んで料理を出し、宴席を開く「揚屋(あげや)」として、明治時代まで営業していた。今でいう料亭にあたる。西郷隆盛や新選組の芹沢鴨(かも)もここを利用した。

 「江戸時代の島原は和歌や俳諧などの文芸が盛んでした。幕末には、歌人蓮月尼(れんげつに)が島原をほめた歌を詠んでいます」と角屋保存会の中川清生理事長(59)。美術館には、与謝蕪村の「紅白梅図屏風(びょうぶ)」が残る。

 だが、立地条件の不便さなどからさびれ、今では角屋のほかに、太夫や芸妓を派遣する置屋の「輪違屋」、島原入り口の大門が、当時の面影を残すのみだ。

 住宅街に突如現れる、華やかな赤壁の建物。客はそこでまず、息をのむ。玄関をくぐった後は、異界に迷い込んだかのような個性的な部屋に幻惑される。

 ふすまに極彩色の御簾(みす)の絵を施した「翠簾(みす)の間」。天井板を網代(あじろ)組みにした「網代の間」。中でも圧巻なのが、天井に約60枚の扇面をはった「扇の間」だ。欄間、ふすまの引き手、食器や火鉢に至るまで扇形。「人をもてなす宴席の場所ですから、おめでたいものづくしにしたのです」と中川理事長。

 個性的な部屋をひきたてるのが、様々な形の障子だ。桟が2本組み合わされ、吹き寄せになっているもの。波形のもの。斜め格子になったもの。「こうした障子の意匠は知る限り、同業他店にみられません。むしろ、寺院の客殿や書院に源流がみられます」と中川理事長。先例の良いところをとって、模倣したのだろうという。

 揚屋だった角屋は1872年、料理を作らないお茶屋に代わったが、お茶屋の営業は1985年に廃業。98年に美術館として生まれ変わり、新しい「もてなし」の方法を模索する。

 美術館にする前はろうそくのすすで真っ黒だった。落とすと、華やかな色彩がよみがえった。「江戸時代、華美な建物はぜいたくさをみとがめられ、壊されることもあった。角屋が生きのびたのは案外、すすのおかげかもしれません」

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