戦乱・流転 敗者の形見
背景は「大坂夏の陣図屏風」の説明が流れるパノラマビジョン。擬宝珠にライトを当てて撮影すると、映像が赤く燃え上がるように写った
大阪城天守閣(大阪市中央区)で開催中の「大坂の陣―その周辺と裏側」展(9月3日まで)に、鉄製の高麗橋擬宝珠(ぎぼし)が出展されている。擬宝珠とは橋の欄干の柱頭に付ける、タマネギのような形の飾り。大坂夏の陣(1615年)で大坂城が落城するまで、城西側の外堀、東横堀川にかかる高麗橋にあったという。高さ68センチと大きい擬宝珠は、往事をしのぶ数少ないよすがの一つである。
擬宝珠の下部には「慶長九年甲辰八月吉日」(1604年)と刻まれている。豊臣秀吉が死去した6年後である。息子秀頼の代に高麗橋の架け替えがあり、擬宝珠が新調されたらしい。重厚ながら美しい曲線を持つその姿は、城と船場を結ぶ重要な橋を彩っていたことだろう。
この擬宝珠は歴史の波にほんろうされた。
まず、大坂夏の陣で、徳川方の安藤右京進重長が戦利品として持ち帰った。
それから時代はくだって第2次大戦後、この擬宝珠を入手したある実業家が、知人の吉田茂・元首相の自宅へ「珍しいものをお見せしたい」と持って行き、そのまま預けた。
吉田元首相は晩年、「大阪へ返した方がいい」と言い残し、死去。69年、吉田元首相の娘婿の麻生太賀吉氏(麻生太郎外相の父)が「故人の遺志で」と大阪市に寄贈。こうして約350年ぶりになにわの地に戻った。
現在は天守閣の収蔵品で、大坂の陣をテーマにした催しなどでしばしば展示される。
大阪ではこの夏、大坂の陣をテーマにした催しが相次ぐ。28日からは「池波正太郎 真田太平記館in大阪城」展が天守閣であり、8月7日にはNew OSK日本歌劇団のミュージカル「真田幸村」〜夢・燃ゆる〜が大阪城近くの松下IMPホールで上演される。
真田幸村は、徳川方についた兄と袂(たもと)を分かち、大坂の陣で豊臣方についた武将。劣勢の中で奮戦し、夏の陣では家康を討つ一歩手前までいきながら討ち死にした。
幸村が登場するイベントはヒットするという。判官びいきか、太閤さんへの愛情か、大阪人には幸村好きが目立つ。大阪城は昨年、真田家本拠の上田城(長野県上田市)と友好城郭の縁組をした。
大坂城の落城、豊臣家の滅亡、幸村の活躍やその死……有為転変を見続け、また自らも数奇な運命をたどってきた擬宝珠は、これからどんな物語を紡ぎ出すのだろうか。