海にらんだ砲台 深い眠り
戦後、米軍によって爆破された友ケ島第2砲台から海を望む。夕日を浴びて漁船が紀伊水道を進んでいった
和歌山市の沖に浮かぶ友ケ島は、豊かな自然に恵まれ、海釣りやキャンプに訪れる人も多い。その島の緑の中に、ひっそりと隠れるようにれんがとコンクリートで造られた建物が点在している。旧日本陸軍の砲台や弾薬庫の跡だ。
1945年の終戦以前、ここは「要塞(ようさい)の島」だった。紀伊水道を北上して大阪湾へ侵入してくる敵艦を阻止するため、和歌山県と淡路島の間の紀淡海峡と、淡路島と徳島県の間の鳴門海峡周辺に多くの砲台が建設され、「由良要塞」と総称された。五つの砲台が築かれた友ケ島は、紀淡海峡の守りの要(かなめ)だったのだ。
和歌山市・加太港からの定期船を下り、正面の山を登っていくと、展望台へ向かう道の途中で、左手に半地下式の施設が見えてきた。第3砲台跡だ。
旧日本軍の軍事施設というと、鉄とコンクリートで造られた、実用的というより殺風景な建物を思い浮かべてしまう。だが目の前に現れたのは、街中にあればギャラリーかカフェになりそうな、赤れんがを見事に積み上げた建物群だった。
この島の砲台は、日本土木学会の「選奨土木遺産」にも指定されている、貴重な「明治建築」だ。由良要塞の建設が始まったのは1889(明治22)年。当時の要塞建設の技術はフランスから導入されたという。そういえば、見事な弧を描くアーチが、どこかキリスト教の教会を思わせる。
階段の下にはトンネルが延びている。「必携品」と言われてきた懐中電灯をつけると、トンネルの横に入り口があり、その向こうに真っ暗な空間が広がっていた。外はうだるような暑さでも、トンネル内にはひんやりとした空気が満ちている。ここが実戦で使われたことはなく、戦死した人もいないと分かっていても、背筋がゾクリとした。
第3砲台を後にして、西の山に立つ灯台を目指す。この白く美しい灯台は1872(明治5)年、日本で8番目の洋風灯台として造られた。東経135度の子午線がこの灯台のすぐ近くを通っており、今年が点灯135周年に当たることから、記念行事も予定されているという。
灯台下の淡路島を望む海岸には、第2砲台の建物がそびえていた。砲座はバラバラに崩壊し、あちこちに「立入禁止(たちいりきんし)」の看板が。海を背景に巨大な廃虚が広がる様子は、地中海のギリシャ・ローマ時代の遺跡のようで、「戦争遺跡」という言葉がぴったりくる。
「島内の軍事施設についての記録はほとんど残っておらず、探せばまだ様々な施設が隠れているかもしれません」と和歌山市観光協会の松浦光次郎さん。今度は未知の「遺跡」を求めて探検してみようか。