ウルトラだったこともある
朝日放送旧本社(右)と旧ホテルプラザの間から望む大阪タワー
「特撮もの」は、空想の世界を現実に描き込む。その魅力に入りこんだせいか、幼いころ「ウルトラマンごっこ」は物足りなかった。“本物”は身長40メートルの巨人である。「シュワッチ」と叫んでも、小さいままの自分では、どうにも感じがでなかった。
1966年に放送が始まったウルトラマン。最高視聴率は40%を超えた。制作したTBSの系列局は当時、ABC(朝日放送、大阪市)。そこで、67年1月に前後編が放映された「怪獣殿下」のロケに、当時のABC社屋の隣の大阪タワーが使われた。
DVDになったこの作品の中で、ウルトラマンと同年に誕生したタワーは真新しい。南太平洋の島で生け捕りにされた怪獣ゴモラが、万国博で日本に運ばれる途中で逃げ出し、大阪で大暴れ、という設定。ついにはゴモラが大阪城をたたき壊す。
大阪タワーは「対策本部」となった。科学特捜隊員らが高さ100メートルの展望台に陣取り、神出鬼没のゴモラを追って緊迫の場面が続く。背後には、そのころの大阪が垣間見える。そばに高層ビルはなく、タワーはすっくとそびえている。
「できたての頃は観光バスがやってくるほど注目されたらしい」。ABCの大西久人技術局長(58)が教えてくれた。大西さんが入社した72年の頃も、「東の東京タワー、西の大阪タワーと言ったもの」だそうだ。「そう言ってるのは、ABCの人間だけやったけどね」と微苦笑を浮かべた。
高さ333メートルで、どっしりと末広がり型の東京タワー。160メートルの大阪タワーは四角柱のほっそり型。ぐっと地味ではある。ただ、その役割は、テレビやラジオの電波塔だけではなかった。朝の情報番組「おはよう朝日です」は79年の放送開始から、展望台の一角をスタジオに使った。7年間番組を仕切ったABC元アナウンサーの乾龍介さん(61)が振り返る。「いろんなことがありました」
冬場はエレベーターが止まり、吹きさらしのらせん階段を上ったことが何回もある。乾さんは、高い所が苦手だ。「もぅ間に合わない、という焦りもあって、たまらない思いでした。下見たらアカンとスタッフの女性に声をかけ、そうすることで自分も鼓舞していたんです」
見晴らしの良さは、もちろん視覚に訴える武器になった。立ち上る煙をスタジオから見つければ、火事のニュースとして伝えられた。西方の六甲の山並みが厚雲で見えなければ、「雨が降りそう」といったコメントを織り込めた。
そんなタワーも6月23日、ABCが大阪市福島区に移って役割を終えた。乾さんもこの春、定年を迎えた。「タワーが建っている限り、実感がわきませんねぇ」
タワーはいずれ壊されるが、跡地の利用計画はまだ決まっていない。
すこし離れて、タワーを眺めてみた。近くの高層マンションは、展望台と同じぐらいの高さだ。梅田周辺に林立するビル群に埋もれている感がある。
タワー誕生から42年。かつて子どもたちを空想の世界にいざなったウルトラマンさえ見下ろす高さに、今や日常の空間が広がっている。さらに42年がたった2050年には、どんな世の中になるのだろう。
(文・木元健二 写真・矢木隆晴)