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魅知との遭遇

(54)水田に残る掩体 高知県南国市

ザクとは違うのだよ

[新聞掲載]2008年07月25日

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写真水田に映る掩体が、涙を流す瞳に見えた

 水田に鎮座するカマボコ形の物体は、「機動戦士ガンダム」に出てくるモビルスーツ「ザク」の頭部ではない。同じ兵器がらみでも、これは掩体(えんたい)という。太平洋戦争中、今の高知県南国市前浜地区に造られた。パイロット養成機関だった旧高知海軍航空隊(現・高知龍馬空港)の軍用機を敵機の攻撃から守る格納庫だった。

 コンクリート製の7基が現存する。最も大きい4号掩体に登ってみた。幅42メートル、奥行き22メートル、高さ10メートル。外壁の曲面をよじのぼると、屋上には腰の高さまで草がぼうぼう生えている。大型の双発機が格納できる内部は、夏でもひんやり。ほかの6基はほぼ幅22メートル、奥行き12メートル、高さ5メートルの大きさ。写真は5号掩体だ。

 『高知空港史』によると、ここには戦争中、コンクリートから木、竹、土製まで大小41基の掩体があった。

 戦後、海軍から地元に返還されたが、解体に多額の費用がかかるため放置され、子供の遊び場や農機具置き場、時には廃棄物の不法投棄場になった。戦後50年を機に、「戦争の悲惨さを語る『証人』として保存を」という声が市民グループ「掩体壕(ごう)を文化財に推進する会」を中心に高まり、06年、7基まとめて市の史跡に指定された。

 会の事務局長・窪田充治さん(77)は、子供の頃から掩体を身近に感じていた。「毎朝7時には練習機『白菊』の爆音で目が覚めた。航空隊、掩体、白菊は生活の一部だった」。戦後は高校教諭をしながら生徒と地域の戦争被害を調べ、住民の戦争体験を聞き取り、反戦・平和の思いを強めた。

 航空隊建設では軍の強制的な土地買い上げにより263戸、約1500人の旧三島村が消えた。戦争末期に特攻隊としてここから飛び立った白菊26機の若者52人が、沖縄の海に命を落とした。農業用水の真上に造られた7号掩体をくぐる水路パイプを太くしてと軍に頼んだ住民代表は「非国民」扱いされた。1号掩体に残る弾痕は、ここに隠れた30人余りの住民と軍用機を米軍機が機銃掃射した跡である――。

 窪田さんらはこうした話を調べ上げ、冊子にまとめてきた。「戦争の記憶が風化し、有事法制の時代だからこそ、歴史の証人としての掩体が必要です」。戦争を語り継ぐ手段として、掩体の見学と音楽会を組み合わせた「掩体コンサート」を夏に開いている。初回の昨年は2号掩体近くの公民館で。今年は8月17日、7号掩体そばの大湊小学校体育館で。

 そぼ降る雨にぬれる掩体は水に映った姿と対をなし、目のようにみえる。戦火に倒れた人々の無念が涙となって田を潤し、遺(のこ)された世代に糧をもたらすのか。

(文・星野学 写真・矢木隆晴)

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