あの求愛 君な忘れそ
竹筒の中の巨大かぐや姫像。周りの民家が小さく見える
靴下の生産量日本一で知られる奈良県広陵町は、一方で「かぐや姫の里」でもあるという。
近鉄箸尾駅から徒歩約10分。町の象徴ともいえる巨大かぐや姫が現れた。派手な中国風の衣装。地上からの高さ約11メートル。“姫”がいる「はしお元気村」の前身、勤労者総合福祉センターが建った11年前、建物のオープンと同時にこの世に降臨した。かぐや姫を授かった“おじいさん”ゆかりの神社が町内にあるというのが、この巨大モニュメントの根拠だ。
「かぐや姫」伝説で町おこしをしているのは、広陵町だけではない。静岡県富士市には、かぐや姫が月ではなく、富士山頂に帰ったという伝説が伝わる。京都府向日市には、胴を竹で作った「かぐや太鼓」が郷土芸能としてある。これら全国の7市町は95年から、毎年回り持ちで「サミット」を開いていた。巨大な姫は、町おこしが熱いブームだったころに生まれたわけだ。
「竹取物語」は「源氏物語」の中にも登場するが、竹から女の子が生まれる物語は中国にもあり、謎が多い。「竹のように中が空のものに魂が宿ったり、女の子がそこから生まれたりする伝承は、『うつぼ船伝承』と呼ばれて日本全国にある。そこに『天の羽衣伝承』やその他の要素が加わって『竹取物語』が書かれたのでしょう」と甲南大学の田中貴子教授(中世文学)は話す。
広陵町が「竹取物語」の舞台だと言い出したのは、大阪市立大名誉教授だった故・塚原鉄雄さん。学界では、おとぎ話のご当地探しより文献を読め、という考えが主流らしいが、やっぱりロマンがほしくてそれらしい痕跡を探し歩いた。
まずは竹取の翁(おきな)、讃岐造(さぬきのみやつこ)にゆかりがあるとされる讃岐神社へ。こぢんまりした拝殿に人の気配はない。竹林を見ながら参道を南に100メートルほど行くと、「讃岐神社と竹取翁」と書いた看板が見つかった。「竹取翁の出身部族である讃岐氏は、持統・文武朝廷に竹細工を献上するため、讃岐国から大和国広瀬郡散吉(さぬき)郷に移り住んだ。かぐや姫への5人の求婚者たちは、持統・文武朝の実在の人物」と書かれ、これが物語の舞台を大和ととらえる理由のようだ。
すぐそばの竹取公園へ。ここも人影はなく、静まりかえっていた。7年続いた「サミット」も、今は遠い記憶。広陵町から「かぐや姫」熱は去ってしまったのか。ちょっと落胆して帰途につく。交通は確かに少し不便だが、「源氏物語千年紀」にかこつけて観光客誘致に熱心な京都に比べて、あまりに奥ゆかしい……。
田中教授は「古典文学を使った町おこしは全国に見られるが、継続が難しい」。理由の一つは、名前が知られた古典文学も、実際に読んだ人は少ないこと。もう一つは文学の世界を体感できる舞台が、あまり残っていないことだ。
巨大かぐや姫の憂いに満ちた表情は、忘れられていく者の悲しみか。源氏物語で今は盛り上がっている京都も、来年はどうなっているのか。少し気になった。(文・田中京子 写真・矢木隆晴)