浮世絵なワタシに「ぽっ」
体験した学生は「自分じゃないみたい」
バラリと垂れた髪が、サクサクとあでやかな日本髪に変わる。集まった約100人が目を見張った。写真は江戸中期、町娘に流行した「春信風島田」。鈴木春信の浮世絵によくある型で、跳ね上がった後ろは、鳥の尾っぽの形に見立てて「鶺鴒髱(せきれいづと)」などと呼ばれる。
古代以来、日本女性は髪形に工夫を凝らした。大阪歴史博物館の中野朋子学芸員(服飾史)によると、時代劇などでおなじみの髷(まげ)スタイルは17世紀に現れ、江戸末期には200種以上もあった。そんな日本髪の伝承に取り組む「京都美容文化クラブ」の南登美子会長(80)、山中惠美子副会長(79)を招き、同志社大経済学部の西村卓教授のゼミが髪結い実演会を開いた。2人は美容師で、舞妓(まいこ)、花嫁の晴れ姿から京都の葵祭、伊勢神宮の行事にも引っ張りだこの結髪の匠(たくみ)だ。
山中さんが披露した「先笄(さっこう)」は、江戸後期の町の若奥様などに愛された。添え毛をして前髪、髷、両脇の鬢(びん)、後頭部の髱を作る。和紙をこよりにした元結(もっとい)で細かく縛り、鬢付け油で固め、かんざしなどを飾る。南さんの春信風島田のモデルになった3回生の榊原杏紗(あずさ)さん(20)は「私が見事に変身」と感動しつつ、「ただ、重くて長時間は耐えられません」。
日本髪は、肩にかかる程度の長さがあれば結えるという。山中さんは「舞妓ちゃんの髪も短かったり、シャギーだったりです」。高枕で寝れば6日はもち、油を落とすにはボディーシャンプーがおすすめ。「昔、舞妓ちゃんは台所用洗剤を使ってはりました」
京都美容文化クラブは62年、伝統ある髪結いと時代風俗の着付けの技を広く伝えようと結成された。何しろ「地毛で結うのを生業にできる人は京都でも5人ほど。結髪の技術は限られた市場で継承されてきた」(西村教授)。会員は60歳代中心に京阪神の約50人。月2回は、マネキンを持ち寄って学んでいる。毎年9月の「櫛(くし)まつり」では、安井金比羅宮(京都市東山区)で櫛供養をした後、会員があつらえた時代装束で女性たちが祇園かいわいを歩き、日本髪の美しさをアピールしている。
南さんは祖母、山中さんは母の代から京都で腕を磨いてきた。南さんの祖母のもとには、日本画家の上村松園も髪を結ってもらいに訪れたという。「先代の後ろ姿を見て体で覚えた。足と腰の動きで手も動く。一から結わせてもらえたのは、還暦のころのこと」と南さん。技術の継承は簡単ではない。
ところで、経済学部でなぜ日本髪なのか。しかも、西村教授の専門は近代日本農業史。聞けば、農業史は学生のノリが悪く、20年ほど前からサイドワークとして京の職人や庶民の生業を調べ始めたのだという。現在、各学年のゼミ生計84人が髪結いの他、西陣織、和菓子などを研究している。髪結い職人研究グループの3回生岡本亮祐さん(22)は「技術継承の歴史など、発見があって楽しい」と語る。大学生の熱意が、伝統の継承に一役買う結果となっているようだ。(文・高橋真紀子 写真・矢木隆晴)