0系車両の乗務前に、指をさして確認する伊藤健二さん=大阪市淀川区のJR新大阪駅、上田潤撮影
今年11月末で引退する新幹線の初代車両「0系」とほぼ時を同じくして、一人のベテラン運転士が30年の新幹線人生に終止符を打つ。「0系こそ我が原点」と話すJR西日本の伊藤健二さん(57)は、アナログ機械に愛着を覚える世代。「コンピューター化された車両の操作を“覚える”のではなく、運転の基本を理解してほしい」と後進の指導に励んでいる。(吉野太一郎)
JR西日本の大阪新幹線運転所(大阪市淀川区)に、0系の訓練用シミュレーターがある。14日から200人を超す運転士を対象に0系の最後の訓練が始まる。伊藤さんも指導役を務める。
8月6日には実際に乗務した運転士のわきで指導した。午前7時59分、6両編成の「こだま639号」(0系)が新大阪駅を出発、70種類以上の計器やスイッチを緊張気味に操作する男性運転士(32)の横で、伊藤さんはじっと見守った。
「100系」以降の車両と違って運転台にモニター画面がなく、時刻表や次の駅までの距離などが表示されない。自分の感覚だけが頼りだ。西明石駅から運転した伊藤さんは、定刻に1秒の狂いもなく姫路駅に停車させた。「新型車両はモニターの指示に従えば運転できるが、万が一のこともある。自分で操作する0系こそ基本中の基本なんだ」
福岡県筑後市出身。地元の高校を卒業後、国鉄の運転士をしていた父親に勧められ、69年に自らも国鉄に入社。運転士を志望したが、配属は北九州市の貨物列車の車両検査・修理部署だった。転機が訪れたのは75年。山陽新幹線の岡山―博多間開業に伴う要員増で、新幹線の検査・修理部署に異動。その3年後、新幹線運転士の募集が国鉄社内でかかった。
東北、上越新幹線(ともに82年開業)の建設が進み、新幹線網は全国に広がる勢いだった。大阪転勤が条件だったが、「遠からず九州の奥まで新幹線が延びて、故郷に帰って勤務できると思った」。悩んだ末に応募、合格した。