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揺れた道、64年後開通 終戦直後に計画「山手幹線」(2/3ページ)

2010年10月12日

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写真山手幹線の開通記念ウオークで、最後の未開通区間となっていた芦屋川隧道への坂を下る参加者ら=10日、兵庫県芦屋市松ノ内町、佐藤写す

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 震災後に積極的な買収交渉を進めた芦屋市に対し、被災住民からは「被害に乗じて開発を進めるのか」と反発が出た。祖父の代からの土地を売った60代の男性は「被災後の大変な時期に一気に話が進んだ。わだかまりはある」。未開通だった区間に暮らす男性(60)は「被害が大きかった地区では大半の住宅が全半壊した。ほとんどの住民が再建をあきらめ、反対運動すら起きなかった」と振り返る。

 芦屋市の未開通区間の住民らは「地域環境を守る会」を結成。大気汚染や騒音、振動などの防止策を市と話し合ってきた。交渉に当たった西芦屋町内会長の渡辺徹也さん(71)は「反対しても計画がなくなるわけではない。それなら住民の意見をしっかり伝えようと活動した」と話す。

 2003年には、大規模公共事業に義務づけられる環境影響評価法の基準と同レベルで環境保全に努める協定を芦屋市と住民側が締結。景観にも配慮し、最後に開通する芦屋川の区間には新たな橋をかけず、川の下を道がくぐるトンネル方式の「芦屋川隧道」になった。

 芦屋市は隧道周辺の1日当たりの交通量が8千台から将来的に2万5千台に増えると予測。開通後、予測を上回る交通量になった場合は新たな対策を取ることについても近く住民側と協定を結ぶ。

 震災以降、市側の担当を務めてきた芦屋市街路課の北田恵三課長(57)は「つらい経験をした住民の皆さんが、『災害に備える』という意義に理解を示してくださった」と振り返る。月若町の神井さんは「開通で終わりではない。住民と共生できる道路になるか、大事なのはこれからだ」と語った。(佐藤卓史)

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