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感情に振り回される年金の勘定
エコノミスト(国際経済学)の足田八洲雄さんから

 年金生活者として、昨今の様々な年金問題に深い関心を抱いている。年金記録問題のようなずさんな話は論外であるが、厚生労働省の年金制度に対する根本姿勢には疑問がある。また、年金学者、エコノミスト、マスコミの見解にも首をかしげることが多い。

 年金制度というのは、所得がある現役世代から所得がない老年世代への所得分配の制度である。この点を忘れて、老年世代も応分の負担をすべきだという議論をする向きがある。老年世代にも所得がある人はいるが、それを所得分配の原則論に取り込むのは間違っている。また、後期高齢者健康保険のような消費面での負担で、老年世代の応分の負担が論じられているが、負担が増えれば所得分配を見直す必要があり、この議論も根本的に間違っている。所得分配について重要な点は、適正な分配とはどのような割合かということであり、これは所得代替率で示されている。所得代替率というのは、厚生労働省の定義では、現役世代の可処分所得に対する老年世代の所得の比率である。現行制度では、少子高齢化の進展にしたがい、所得代替率が59.3%から50%に引き下げられることになっているが、これは世代間の公平性を軽視した施策である。この施策は、一見すると、老年世代に比べて現役世代に有利であると見えるが、将来の負担に対する給付の比率が低くなり、すべての世代に対して年金制度が果たす役割が縮小する施策であることに気づいていない。

 少子高齢化が進むと、働き手である現役世代が減り、働けない老年世代が相対的に増える。一定の所得のもとで財政均衡を保つには、保険料率を引き上げ、年金給付額を引き下げる必要がある。そのとき、現役世代と老年世代の公平性を保つには、所得代替率を適正水準に維持することが重要である。所得代替率が高ければ現役世代の生活が苦しくなり、所得代替率が下がれば、老年世代は生活しづらくなり、極端な場合は姥捨山につながる。適正な所得代替率というのは、現役世代と老年世代が一つ屋根の下で仲良く暮らしていた家庭内扶養の時代の姿であろう。

 平成16年の年金改正で、厚生労働省は、将来の保険料の上昇は現役世代の負担を過剰にして若年層の年金離れが進むという恐れから、保険料率に上限を設けることにした。その結果、財政の均衡を保つには年金給付額を余分に引き下げ、所得代替率を低下させる必要が出てくる。さらに、厚生労働省は、将来の少子高齢化に人口統計の中位値を用い、一定の経済成長のもとで積立金の運用益を求め、その大部分を取り崩すという想定の下で、100年安心の年金制度が出来たとしている。しかし、人口推計や経済成長が想定条件を外れ、所得代替率が50%を下回る場合には、給付と負担の在り方についての検討を行い所要の措置を講ずることとしている。結局、100年安心というのは成り行き次第の条件付きであり、また、老年世代の生活水準を17%ほど引き下げることを織り込んだものである。

 少子高齢化が進めば、現役世代の負担が増えるのは当然であり、どのような年金制度を作っても避けようがない。もっと広く考えれば、年金制度があろうが無かろうが、人の社会では、現役世代が老年世代を扶養しなければならないことは自明である。その結果、現役世代の負担は当然重くなる。それを避けるには、少子高齢化を抑制するか、あるいは、生産性を高くして所得を増やすしか方法はない。負担が増えるからといって、保険料率に上限を設けるのは原則を逸脱した考えで、将来に禍根を残す政策である。

 数年来、年金制度の所得分配原則と財政方式の原則を堅持することを訴えているが、年金学者やマスコミは聞く耳を持たない。多額の積立金を保有する年金制度を既に破綻していると攻撃したり、過去に年金給付を大盤ぶるまいしたなどと政府を非難したりする発言が目立つが、保険料率に上限を設けることに疑念を呈する人がいないのは、木を見て森を見ずではないか。基礎年金の保険料と消費税のように裁量の余地がある議論は結構だが、給付は誰かが負担しなければならないという原則論を歪めることは出来ない相談である。なぜ年金学者と称する人達が、年金制度の基本原則を曲げて不安定な年金制度の成立を黙視しているのか、不思議に思っている。

 

 「何、あれ」。「何であたしたちよりチップが多いのよ!」。ここはとあるストリップ劇場です。プロのストリッパーが怒るのも当然です。何せいまここで一番売れているのはこの不思議なコンビなのですから。一体このコンビのどこがいいのでしょう。一説によれば、そのじらし方が世界一だとかなんとか…。  北朝鮮は外交がうまい、と言ったら私は非難されるでしょうか。しかしこの小さい国は、大国を相手になぜかしたたかな外交を繰り広げています。2006年の核実験は、明らかに1991年の朝鮮半島非核化宣言に反するものでした。なのに、それに対する謝罪もせず、核をカードに6者会談ではエネルギー支援を取り付けました。この国との付き合いはいつも韓国でも悩んでいるようです。でも韓国と北朝鮮は、わずか60年前までは同じ国でしたよ。祖母が修学旅行で訪れて撮った金剛山の写真だって残っています。どうして朝鮮半島はふたつに分かれたのでしょうか。「イムジン河」の好きなみなさんにも、一度考えていただきたいです。

戦争とリゾート、東南アジアの旅で
文化ジャーナリストの白鳥正夫さんから

 ミャンマーでの大型サイクロン被害が伝えられていた5月中旬、隣国のタイを訪ねた。かつてビルマと呼ばれたミャンマーと国境を接するカンチャナブリーまで出向き、映画『戦場にかける橋』の舞台を見学した。3月下旬にはタイの隣国、マレーシアを訪問した。ここではリゾート地として発展するペナン島に泊まった。いずれも観光が目的だったが、東南アジアの二つの国は戦争とリゾートという両極の視点から「これでいいのかニッポン」との複雑な感懐を抱かせる旅になった。

 カンチャナブリーはバンコクから北西へ約130キロ、ミャンマーとつながるクウェー川(クワイ川)に沿う町だが、第二次世界大戦時、日本軍が大量の連合軍捕虜や強制連行のアジア人たちの過酷な労働によって1943年に完成させた泰緬鉄道の拠点となった。

 当時、インド方面へ戦線を拡大しようとした日本軍と、それを阻止しようとする連合国軍との間で全長250メートルの鉄橋をめぐって死闘を繰り広げた。イギリス人捕虜も
一大観光名所となっている旧泰緬鉄道のクワイ河鉄橋

協力し完成した橋がその直後に英国軍によって破壊される過程を描いたのがアカデミー作品賞を受賞した『戦場にかける橋』であった。

 戦争の無意味さを描いた映画は、テーマ曲の「クワイ河マーチ」のメロディとともに強く印象に残っている。いつか現地に行ってみたいと思い続けていたのは、私の同僚だった記者が1980年、戦時中に日本陸軍の通訳だった永瀬隆さんと同行し「泰緬鉄道の旅」を岡山版に連載したのを読んだことにもよる。

 泰緬鉄道の建設は、険しい地形と劣悪な労働環境、さらには戦局維持のため急を要したこともあり、4万5000人もの犠牲者を出したとされる。この悲惨な歴史を伝えるべく捕虜収容所を再現したJEATH戦争博物館がある。粗末な竹で造った小屋内には、日本軍の拷問を描いたスケッチなどが展示されている。

 このほか戦争の記憶をとどめる第二次世界大戦博物館や泰緬鉄道博物館もあり、捕虜として犠牲になった連合軍共同墓地と日本軍が建てた慰霊塔もあった。そして「死の鉄路」とさえ言われる泰緬鉄道は、現在もナム・トクまで80キロが運行されている。クワイ川に架かる鉄橋は歩いて渡ることも出来、観光客であふれていた。

 現在はサトウキビ畑などの田園風景を眺めながら2時間足らず体験乗車をした。車中、JEATH戦争博物館で購入した日本語の「クワイ河の虜」(1996年、新風書房)のページをめくった。オーストラリア人のバンコク・ポスト紙記者が書いた本だが、慰霊に訪れる元捕虜たちや供養の旅を続けていた永瀬さんらの証言を集め、史実を掘り起こしていた。

 記者は「うっとりとするカンチャナブリーの自然に抱かれて、陶酔状態にひたったまま、静かに平和のなかで暮らしたいと願ったこともある。しかしいまは、死の鉄路の怒りを知ろうとする希求から、とうとうクワイ河の虜になってしまった。やることはまだ山ほど残っている」と、本の終わりに書きとどめていた。深く重い言葉だった。いかに戦争時の行為とはいえ、日本国から十分な謝罪や補償もなく年老いてゆく元捕虜たちは、物見遊山の日本人観光客らを横目に「日本を許せない」と憎しみを募らせていると聞いた。私たち日本人にとって、忘れてはならない実相を知り、戦争の悲惨さを語り継ぐことの大切さを実感した。

 一方、マレーシアも日本の軍政下に置かれたこともあったが、多民族が共存するコスモポリタンとして近代国家へ発展を続けている。ここではタイのプーケット島と並びリゾート地として人気の高いペナン島に2日間滞在した。インド洋に浮かぶこの島は南北24キロ、東西15キロもあり、風光に恵まれ「東洋の真珠」と称されている。
粗末な竹で造ったJEATH戦争博物館

 日本人のロングステイ先はかつてハワイやオーストラリアだったが、いまや最も多いのがマレーシアであり、中でも急増しているのがペナン島という。それもそのはず気温は24度から32度で、1年を通しTシャツと短パンで過ごせる。それでいて物価は日本よりかなり低水準であり、治安もよく日本語の話せるスタッフが常駐する病院があるなど施設も整備されているからだ。

 私が宿泊したホテルで衣類を販売していた元日本商社マンのマレーシア人は「アパート、マンションから一軒家まで予算に応じ好みのタイプがあります。仮にホテル住まいにしても2人1室、朝食付きで20万円足らずです」と、しきりにロングステイを勧誘した。

 少子・超高齢化社会を迎え、今の社会保障制度はいずれ破綻するおそれがある日本では、蓄えがない限り年金生活もままならない現状だ。ライフスタイルを変え、日本脱出を図る団塊の世代が増えても仕方のないことかもしれない。

邦楽さろん「源氏物語を地歌で味わう」のご案内
上方文化評論家の福井栄一さんから

 源氏物語千年紀にちなみ、源氏物語にゆかりの深い地歌を集めて、お楽しみ頂きます。王朝文化と近世音楽の美しい出逢いを、ぜひ体感してください。
1.日時:2008年9月20日(土)午後2時開演(開場は30分前)
2.会場:箏三絃なかにし2階スタジオ(兵庫県西宮市甲子園口2-1-29、電話0798−67−1719)
http://www2r.biglobe.ne.jp/~syami
3.演目・出演者:地歌『夕顔』・『新玉蔓(しんたまかづら)』・『融(とおる)』(歌・三絃:菊聖公一、箏:中萩あす香)、演目解説は、上方文化評論家 福井栄一。
4.入場料:お1人様2千円(要ご予約・先着30名様限定)
5.ご予約・お問い合わせ:上記の「箏三絃なかにし」まで、お電話を!
福井栄一のHPアドレスは次の通り。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~getsuei99

<神戸港 平和の碑>ができました
神戸学生青年センター館長の飛田雄一さんから

 私は1999年10月スタートの「神戸港における戦時下朝鮮人・中国人強制連行を調査する会」(代表・安井三吉神戸大学名誉教授)で事務局長として会の運営の一役を担ってきた。すでに調査する会は、@『神戸港強制連行の記録−朝鮮人・中国人そして連合軍捕虜−』(明石書店、2004年1月、4500円)A『アジア・太平洋戦争と神戸港―朝鮮人・中国人・連合国軍捕虜―』(みずのわ出版、2004年2月、840円)の報告書、またBジョン・レイン著・平田典子訳『夏は再びやってくる−戦時下神戸・元オーストラリア兵捕虜の手記』(学生センター出版部、2004年3月、1890円)を出版してきた。また調査活動で知りあった元神戸連合国軍捕虜の監視に当たっていた軍人・松本充司さん提供のC「神戸の連合軍捕虜関係地図」(A3、4枚分 カラーコピー、500円)も復刻するなど調査活動の成果を発表してきた。

 調査する会は、当初から調査活動とともに「モニュメント」を作ることを目標としていた。歴史を心に刻むとともに「石に刻む」ことが大切だと考えていたのである。

 その石碑が、去る7月21日完成した。
<神戸港 平和の碑>の除幕式。左から張福来(遺族)、林同春(神戸華僑総会名誉会長)、姜孝昇(韓国領事)、白永煕(兵庫民団団長)

場所は、神戸市中央区海岸通3-1-1 KCCビル前、神戸華僑歴史博物館のあるビルである。除幕式には多くの方が参列してくださり、中国からは2名の遺族を招いた。テープカットには、遺族のほか韓国領事、総連・民団、華僑総会の代表など8名が加わった。

 石碑の前面にはプレートが組みこまれ、日英中朝の4ヶ国語で以下の文章が刻まれている。
<神戸港 平和の碑>

 アジア・太平洋戦争時期、神戸港では労働力不足を補うため、中国人・朝鮮人や連合国軍捕虜が、港湾荷役や造船などで苛酷な労働を強いられ、その過程で多くの人々が犠牲になりました。私たちは、この歴史を心に刻み、アジアの平和と共生を誓って、ここに碑を建てました。

 2008年7月21日 神戸港における戦時下朝鮮人・中国人強制連行を調査する会

 アジア・太平洋戦争の時期の強制連行関係のモニュメントで、朝鮮人・中国人・連合国軍捕虜を同時に記録したものは初めてではないかと思うが、この三者が時には同じ会社で強制労働されたというのが神戸港の特徴でもある。

 それぞれの被動員数、死亡者の概要についてまとめると以下のようになる。

 (1)朝鮮人:「朝鮮人労務者に関する調査(厚労省名簿)」兵庫県分には、神戸市内の15企業の名簿がある。そのうち神戸港5企業関係として、@三菱重工業神戸造船所(被連行者数1984名、内死亡12名、以下同じ)、A神戸船舶荷役(148名、1名)、B川崎重工業製鉄所葺合工場(1398名、25名)、C川崎重工業製鉄所兵庫工場(220名、6名)、D神戸製鋼所本社工場(412名、3名)、合計被連行者数4162名、死亡者数47名となる。他に厚労省名簿にはないが川崎重工業艦船工場については社史に1600名の記述がある。

 (2)中国人:『外務省報告書』によると連行は7次にわたって、総計996人が連行された(内1名は神戸到着前に死亡)。その後、函館港(北海道)、敦賀港(福井県)、七尾港(石川県)に計330人が転出し、残った人のうち16名が死亡した。

 (3)連合国軍捕虜:終戦時に神戸市内に残されていた連合国軍捕虜は545人。全体の実数は不明。死亡者については、以下のとおりで、総計190名となっている。@神戸分所/死亡者合計134名/内訳:米6、英118、蘭2、豪8(死亡した118名の英国兵捕虜の多くは「りすぼん丸」で移送された捕虜:福林氏コメント)A川崎分所/死亡者合計51名/内訳:英14、蘭19、豪18B脇浜分所/死亡者合計5名/内訳:米4(全員「めるぼるん丸」で台湾から移送された捕虜)、蘭1

 私たちは最初に書いたように歴史を心に刻むとともに石に刻むことの大切さを考え続けてきた。それは単にフィールドワークのための「訪問地」としての役割だけではなく、次の世代により具体的な歴史の事実を示すためにも必要なものである。<神戸港 平和の碑>を多くの方が訪ねて下さることを望んでいる。

18日から神戸で全国図書館大会
夙川学院短期大学准教授の湯浅俊彦さんから

 9月18、19日、全国図書館大会兵庫大会が神戸市の神戸ポートピアホテルと神戸学院大学で開催されます。明治39年に第1回全国図書館大会が開催された後、102年の長い歴史の中、兵庫県での開催は今回が初めてというから驚きです。

 今回の大会テーマは「はばたこう未来の図書館へ〜元気な兵庫からの発信〜」。図書の収集、保存、閲覧や貸出といった従来から図書館が行ってきた業務は、引き続き国民の知る権利を保障する重要な役割を担っていくと思われますが、その一方で電子書籍の貸出などまったく新しい動向も次々と現れています。

 私は9月19日(金)、神戸学院大学ポートアイランドキャンパスで開催される第11分科会「図書館と出版流通」において、図書館と出版流通のシステム化・デジタル化の現状と課題について基調講演を行います。

 その後のシンポジウムでは、出版流通のシステム化とデジタル化は図書館や出版界にどのような影響をもたらしたかをテーマに、出版社・取次・書店・図書館のそれぞれの立場から、出版流通のシステム化やデジタル化について振り返り、その現状と課題について話しあいます。詳細は大会ホームページをご覧ください。 http://www.library.pref.hyogo.jp/taikai2008/top.html

秋葉原の無差別7人殺傷事件/
NHKのニュース報道に思う!

朝日放送キャリア推進室付顧問、関西学院大学非常勤講師の戸倉信吉さんから

 6月8日、東京・秋葉原無差別殺人がおこった当日、事件を伝えるNHK夜7時のニュースをみて衝撃を受けた。たまたま現場に居合わせた一般人がケータイで撮った動画が流れたのである。メディア研究者である筆者には、これは従来の報道のあり方を変えるエポックメーキングに思えた。

 いま視聴者はどんなニュースをテレビに求めているのか?考えた。

 ニュースのNHKといわれ、取材陣は数の上からもカメラマン・記者合わせて約1,100人(職員約1万2千人のうちのほぼ1割)が全国におり、下請け社員やアルバイトなども含めれば少なくとも3倍以上の人たちが日々取材活動をしている。同業の放送関係者からも常に注目を集める午後7時の「NHKニュース7」はゴールデンタイムの入り口、視聴率も高い(因みにその日は関東21.2%、関西18.8%、ビデオリサーチ調べ)。そこに、視聴者提供とテロップ・スーパーが入った所謂、写メが2回にわたり放映された。1回目は、殺傷の5分後の現場を動画で、2回目は逮捕の瞬間をとらえた映像だった。

 当日、既存のメディア各社は事件発生を知り、一斉にヘリコプターを飛ばし上空から撮影したが、NHKはじめ民放記者の現場到着は事件発生から約30分遅れだった。ニュース7でも従来通りの取材映像が目撃者のインタビューなども交え放送された。筆者は、これを自宅テレビでみて、録画しようとしたが間に合わず、数分後「YOU TUBE」で検索したら、明らかに著作権法にふれるが、もうアップされていた。繰り返しこのニュースをみたが、視聴者提供の写メに何やらわからない、割り切れないモヤモヤが残った。

 モヤモヤの原因は、何なのか? 筆者が「マスコミュニケーション論」を教える同志社女子大のクラス約180人に聞いてみた。

 ひとり残らずカメラ付きケータイを持っている。女子学生たちの答えは、「その場にいても怖くて写せない」がほとんどで、「写したとしても友人や家族に見せる為」と言った。その中のひとりが「面白半分で撮ったとしか思えないものを放送するなんておかしいのでは」、そうだ取材者の志にあったのだ。筆者のモヤモヤは治まった。「こんなニュースが増えるとテレビとかみたくないナァと思った」というのもあった。

 時代はいま、ケータイで誰でも取材者になれ、監視社会とも言われて久しい。

 無差別殺人事件の彼が書きこんだとされるインターネット上の掲示板、そこにみられる心の傷は深いし、コミュニケーション下手の素顔が見える。オレは嫌われ者、社会が受け入れてくれないという疎外感、それはしかし、いつの時代、誰にもある思いで今に始まったことではない。最後パーッと一丁メディアの舞台で大暴れして死ぬ、その道連れに誰でもよい、人を殺してワイドショーで注目を浴びて…。

 偶然だろうか?7年前、大阪教育大付属池田小学校で児童殺傷事件があったのも同じ6月8日だ。彼が書き込んだとされる掲示板には、自分の行動の実況中継があり「やりたいこと…殺人/夢…ワイドショー独占 」が目を引く。劇場型の典型的な犯行だ。彼は何故犯行に及んだのか?事件の原因をテレビゲーム、ことに格闘技や戦争・殺人ゲームなどの影響で「バーチャル」と「現実」の世界の区別がつかない若者が増えた、という評論家もいる。

 再び、学生にこの犯人の心情は理解出来るかどうかを聞いた。境遇に理解を示す学生も数人はいたが、犯行にまで及ぶかどうかは、理性で決まるという。理性はその人の心を本能に委ねるのではなく日々の厳しい内省と訓練からしか生まれない。別の大学でも聞いてみた。

 関西の有名私大は、「関関同立」と呼び、関西学院大学はこの上位4校に入っている。筆者は、神学部から総合政策学部までどの学部生も受講できる総合コースでもクラスを担当している。その関西学院大学総合コース『情報通信の温故知新〜ITってなんや!その昨日・今日・明日〜』のクラスでも男女半々計211人に聞いてみた。

 『NHKニュース7』にケータイで撮った一般人提供の写真や動画が使われていたことをどう思う?

 肯定派は…63名、否定派は…58名、どうも思わなかった。時代の流れか…33名、びっくり!他人事のよう…6名

肯定派(良いではないか〜当然)…63名
 ・ 世の中が便利になった対価
 ・ リアルでよい
 ・ 警察や放送局への提供
 ・ 情報発信の民衆化(=個衆化)
 ・ モラルは欠如しているが…。
 ・ 怖くなった
 ・ 速報性、はやい
 ・ 独占メディアだと隠す場合が…。
 ・ 主観が入っていない
 ・ マス・メディアが情報統制できない時代
 ・ 時代の進展を感じる
 ・ 国民の知る権利

否定派…58名
 ・ 目を背けたくなる、怖くなった
 ・ 被害を受けた関係者がみたらどう思うだろう?
 ・ 身内はたまらないだろう
 ・ わざと、ためらいのなさ、メディアを気取って
 ・ 編集されてなく「丸投げ」で説明がないので視聴者を惑わす
 ・ 報道のプライドはないのか
 ・ テレビ局も同罪
 ・ 自分もしたいと思うひとが出てくる
 ・ 模倣犯の助長
 ・ まず、助けるのが先
 ・ 殺人と同罪
 ・ モラルや使命感に駆られたわけでない、好奇心
 ・ NHKは、視聴率を気にし過ぎでは
 ・ 今までの火災現場とはちがい殺人事件だ
 ・ ケータイは個人で楽しむには良い。悪趣味、野次馬の撮ったもの
 ・ リアルに体験した人の感じたものそのまま流すことが事実とも思わないし、その溝(差量)を埋めるのがメディア、マスコミの役目
 ・ アニメやドラマの中だけであって欲しい
 ・ 情報の混乱を招く

 アンケート対象は、18歳〜22、23歳の男女大学生に限られるが、IT時代に生きる若者のひとつの傾向は出ていると思う。

食料問題と一消費者としてできること
「地球に謙虚に運動」代表の
仲津英治
さんから

1.日本の食糧キロ フードマイレージ

 2002年4月に、私は『地球に謙虚に―― 一方通行社会から循環社会へ』 と題する本を著しました。その中で経済も文明も食料とエネルギーの賜物であるとの視点から、農業と漁業が衰退し、食料自給率が穀物ベースで27%を切っている日本の危うさを指摘しました。

 そして去る4月、異業種交流会において、神戸山手大学の中野加都子(かづこ)教授による講演を聴く機会を得ました。その中で中野教授から驚くべき数字を伺ったのです。

 フードマイレージのことで、それは食料の重さと輸送距離を掛け合わせ、合計した数量でトンキロで表されます。第一位の日本のフードマイレージが実に9,000億トンキロを超え、第二位の韓国、第三位の米国の約三倍であるとの話に接し、本当に驚きました。

 今、日本国内の総貨物輸送量が5,000億トンキロ前後ですから、この9,000億トンキロという数字の巨大さの意味が判りましょう。下表に農林水産省のデータを掲げます。

 この表の通り、日本のフードマイレージは総量において世界中で群を抜いて大きく、国民一人当たりでも一位となっています。これについて農水省幹部は「現代の日本人は歴史上のどの時代における、どの国の王侯貴族よりも贅沢な食事をしている」と解説しています。

2.原油価格上昇と食料確保

 上述の9,000億トンキロを可能にしているのは、石油です。大体は船舶により運ばれているのでしょうが、生鮮食料品は燃費の巨大な航空機によって結構運ばれているとのことです。両輸送機関とも内燃機関で動いており、燃料は殆ど石油です。日本は対価を払っているとは言え、地球に大変な環境負荷をかけ、同時に脆弱な基盤の上に立っていると言えます。

 石油は現代の農業と漁業に欠かせません。食料確保あるいは生産に使われる農耕機械類、漁船もそれらは殆ど石油で動いているからです。

 今、原油価格が急上昇して来ました。第1次石油危機(1973年)前の原油価格は1バレル(159リッター)数ドルでしたが、今や100ドルを軽く突破しています。原油価格の上昇は、全てに効いてきます。主因は、投機筋の先物買いによるとも言われていますが、ベースは中国、インドなどのかつて開発途上国と言われた国々の消費増大にあり、根本的な理由は石油ピークと呼ばれる原油生産の頭打ちでありましょう。2005年5月に石油ピークを迎えたとの見解を石井吉徳氏(NPO法人「もったいない学会」会長)より伺いました。

 また食べ物になる果実からアルコールを作り出し、自動車に食わせるという罰あたりビジネスが勃興し、世界中に食料の高騰を引き起こしています。こうした背景から今まで食料輸出国であった国々も自国民優先の政策を採り始め、食料輸出にブレーキを掛け始めました。

 金に任せて高級食材を買える時代は過ぎつつあります。しかもエネルギー、食糧、水など根幹的資源を巡って国際的対立も起こりそうな情勢になって来ました。当然30%以上もの食べ物を残す飽食、放食といったことを続けるべきではありません。

3.地産地消と一消費者としてできること…「ハチドリの一滴(ひとしずく)」  

 最近親友の一人が伊豆で百姓を始めました。ところが、自活する以上に収穫できた野菜を近在のスーパーに卸したところ、何と売値の5分の1から6分の1でしか買ってくれなかったとのこと。これでは農家がやる気を起こす訳がないと嘆いていました。 最近ご親交を頂いている元米国人で2006年9月日本に帰化したビル・トッテン氏から頂いた著書に「ハチドリの一滴(ひとしずく)」という心温まる一文がありました。山火事の際に一羽のハチドリが川の水を嘴に含んでは火中に散水して消火に努めているのです。森の仲間から「そんなことをしても効果がないよ」と言われてもハチドリは「私は自分ができることをするだけ」と消火活動を続けます。私は自分がしていることは、まさに「ハチドリの一滴(ひとしずく)」かなと今思うに至りました。

 私と妻は、地産地消の実践として近場の物を買うように心がけています。具体的には主食はお米とし、東近江市の農事組合法人ネイチャージャパンから年間契約により購入しています。同法人は仲岸希久男ご夫妻が経営しておられ、仲岸氏は稲本来の生命力を活かす不耕起栽培を実行しています。無農薬で光合成細菌をベースにした有機肥料で栽培されているので安心です。お米代はスーパーで買うより割高ですが、安心料であり、僅かですがご夫妻への所得の一部を提供できていることになります。

 野菜類は、近在のおじいさんが減農薬栽培されていて、娘さんが移動販売に来られます。

 妻がその方から何時も買っており、足らざる分をスーパーで補っています。これも顔の見える農業と言えましょう。

 また牛肉は控えています。米国産、豪州産の牛は、トウモロコシなどを飼料として人工飼育されています。1:2:4:11と言う数列があります。人間がトウモロコシ1キロで生活できるとすれば、同じエネルギ[を得るのに鶏で2倍、豚で4倍、牛だと実に11倍のトウモロコシを必要とするのです。牛を飼うことはそれだけ大きな耕作地面積を必要とし、牛肉を食べることは環境負荷を増大させることに繋がります。

 そこで我が家では蛋白源としてなるべく魚介類を多く取るようにしており、なるべく近在で取れた海産物などを購入するようにしていますが、産地は多岐に渡っています。琵琶湖岸に住みながら、琵琶湖産の魚は買いたくても少ないのです。琵琶湖漁業を復活させたいですね。 

 もう一つ、自宅ではEM(有用微生物群、光合成菌、酵母菌、乳酸菌が主力)を使って生ごみの堆肥化に努め、それを生かしてプランターで野菜類を栽培し、自家消費しています。 

 この一文は、「地球に謙虚に」運動HPの代表発信欄の原文を要約したものです。 

URL http://www5f.biglobe.ne.jp/~kenkyoni/index.html

ワークショップ「7つの質問」の試み
甲南女子大学教授の島田博司さんから

 いま、仲間とのおしゃべりを嫌い、ちょっとしたおつきあいも苦手とする若者が増えつつあります。そこで、対人関係の改善を図り、コミュニケーション能力を高めるために、2007年夏に「7つの質問」という企画(ワークショップ)を立ち上げました。内容は、5人1組になり、ナビゲーター役となった人が「7つの質問」を用意し、それをゲスト役になった人に投げかけ、8〜10分の時間制限のなかでコミュニケーションを広げ、深めていく試みです。ヒントとなったのは、谷川俊太郎さんの『谷川俊太郎の33の質問』(ちくま文庫)です。

 ある学生が用意した「7つの質問」を紹介しましょう。
 @貧乏でも家族や友人に恵まれるのと、金持ちだけど孤独な生活を送るのとでは、どちらがいいですか?
 A思い出の場所はありますか?
 Bだれにも負けない特技はありますか?
 C歴史上の人物になれるとしたら、だれになりたいですか?
 Dあなたの生活に欠かせないものはなんですか?
 Eあなたが信じているジンクスはありますか?
 F愛って、なんですか?

 学生たちの反応はどうだったでしょうか。

1)時間があっという間にすぎた
*時間があっという間でした。慣れてきたころにはだんだん深い会話になってきて、時間内では全部の質問をしきれなくて、びっくりしました。

2)質問する難しさ〜答えようとする気持ちも必要
*質問することは、答えることよりも難しい。相手の答えから話につながりそうな言葉を拾い、会話を続けていくのは大変だ。そのことを考えて、話になりそうな質問を考えておかないと、答えを返されたとき、本当に困る。また、質問する側だけが一生懸命になっても変な感じの雰囲気になってしまう。できれば答える側も、質問の意図から相手の気持ちを汲みとろうとする働きかけは必要だ。

3)あなたのことを知りたい
*人は見かけじゃないことと、どんどんお互いが心を開いていっていることを感じた。そして、「もっとこの人のこと知りたい!」って思うようになった。きっかけさえあれば、こんなに簡単に人と人が仲よくなるんだなと、うれしくなった。

4)もっと聞いてほしい
*最初は、この授業に来たくないと何度も思った。人前で話す自信がなかった。自分で考えた質問に対し、「それ、おかしいよ」って非難されたらどうしよう…、と不安だった。でも、やってよかった。自分が考えた質問に対して、「これ、話が広がるいい質問だよね」っていってくれたときは、うれしかった。自分が質問に答えるときも、「Yes/No」だけでなく、「なぜか」とか自分の考えをたどたどしいながらも答えることができて、よかった。話したいことがいっぱいで、もっと聞いてほしいと思ったくらいだ。

5)「質問」というきっかけがよかった
*はじめはあんまりしたくなかったけど、やってみるとめちゃくちゃ盛りあがって、楽しかった。いくらでも話が弾んで、びっくりした。あまり話したことない子とグループになったけど、ぜんぜんイメージとは違う一面がみえた。これがきっかけで、仲よくなれた気がする。「質問」っていうきっかけがあって、話しはじめたことが一番話しやすく、話せた理由かな。なんのきっかけもなしで、「はい、話してください」って言われても難しいもの。

 これらの問いをめぐるやりとりは、とても楽しめるだけでなく、問答を通して学びが深まっていく様子がとても好ましく、微笑ましいものでした。この試みですが、これからもどんどん広げていこうと思っています。なお、この試みの顛末を、『7つの質問―島梟の森で交響する』(島田博司編、甲南女子大学教育研究ネットワーク叢書13)=写真=としてまとめました。興味のある方は、ご連絡いただければ幸いです。

「日本居住福祉学会」誌の市販化にあたって
日本福祉居住学会長の早川和男さんから

 人はすべてこの地球上に住んで生きている。安全で安心できる「居住」は人間生存の基盤であり、基本的人権であり、社会保障と福祉と文化の基礎である。しかし、わが国ではそのような認識が希薄である。

 近年うちつづく災害は住宅の倒壊などによる「住宅災害」がほとんどで、市場原理と自助努力による低水準住居の累積が多くの生命を奪った。健康は「生活習慣病」などの個人責任に帰す風説が流布し、居住条件の改善や公衆衛生などの社会的視点は後退している。介護保険が掲げる在宅介護も住居が貧しければ困難である。「ノーマライゼーション」が高齢者福祉の基本理念になっているが、公共住宅やマンションの建て替え、公営住宅入居収入基準の引き下げ、「都市再生」等々による強制退去は、老いた人たちから住まいとコミュニティーを奪い生存を脅かしている。子どもの犯罪被害も地域共同体の喪失と無縁ではない。格差社会の論議も貨幣面に傾斜している。住まいが保障されておれば、人は生きられる。

 戦後の日本はまちや村をもっぱら経済活動の視点から評価し利用してきた。経済大国にはなったが、貧困・社会格差・地域格差の拡大、一次産業の後退、国土の荒廃など、環境破壊と生活不安は深刻になっている。21世紀は、それに代わり、生命の安全、人間の尊厳、生活の安定、健康、福祉、子どもの発達、一次産業の振興による食の安全、国土の保全等々の、いわば日本国憲法がかかげる国民の生存権保障、幸福追求の権利などの基本的人権と地球環境維持の価値観にたった国土作りが必要である。「居住福祉」はその基礎である。

 日本居住福祉学会は、私たちが安心して生きられる「居住福祉社会」の実現を目指して、研究者・専門家・市民の参加する開かれた学会として、2001年に発足した。その機関誌が今回(6号、2008年5月)から、市販雑誌として刊行されることになった。多くの方の参加・批判・提言をお願いしたい。

『警察の犯罪 鹿児島県警・志布志事件』を出版
ジャーナリストの粟野仁雄さんから

 縁あって「朝日21関西スクエア」に入会させていただき、本当に光栄です。挨拶代わりに最新の拙著を紹介します。社会問題を中心に雑誌記事や本を書いてきましたが、今回のタイトルはやや強烈で『警察の犯罪 鹿児島県警・志布志事件』(ワック株式会社)です。

 2003年春の鹿児島県議選で、志布志町(現志布志市)を舞台に無実の市民が選挙違反の濡れ衣で次々と逮捕・起訴された。3年半に及ぶ裁判の末、昨年2月に12被告全員の無罪が確定したが遅すぎた。4回の買収会合を開いたとされた中山信一県議の395日を筆頭に平均で半年以上という恐るべき身柄拘束をされた。起訴された13人中、無罪判決を待たずに77歳で他界した犠牲者もいる。

 志布志事件は、最近相次ぐずさん捜査や誤認逮捕の冤罪とは意味が違う。鹿児島県警が「わけあって」最初から事件を緻密に捏造した「でっち上げ」だ。「ずさんな捜査」などと表現すれば彼らはほくそ笑む。隠された事実を数々スクープした朝日新聞社鹿児島総局の存在がなければ汚名が晴らせなかったかもしれない。総力取材には及ばないが、神戸から志布志へ何度も通うたびに怒りがこみ上げた。悪辣な刑事たちは「金をもらったのをみんな見ている。認めていないのはお前だけだ。認めなければ親も子も引っ張る」などと農村部の年配者たちを騙して脅し、逮捕していった。裁判の起訴状には買収会合の日時がひとつも書いていない。アリバイ成立を恐れて警察と検察が示さなかったからだ。弁護側の要求で渋々示した日時に、「主犯」の中山信一さんが中学の同窓会に出席していたアリバイが証明され、検察・警察は完敗したが同窓会がなければ…。判決は紙一重だった。

 鹿児島地検は捏造の共犯だ。連日の過酷な取調べで滝に飛び込み自殺を図ったFさんを偶然助けた男性がFさんから聞いた「警察は何を言っても聞いてくれない、死んだほうがましと思った」の言葉を、県警は「選挙違反してしまったから死んでお詫びする」と調書を捏造した。地検で抗議した男性に検事は「死んだほうがまし、も、死んでお詫びするも同じ」とはねつけた。他の被告の検事調書も架空の買収会合が臨場感たっぷりの作文で描かれる。こんな検事たちは小説家になるべきだ。県警と地検はいまだに被害者への直接謝罪もせず、誰も何の責任も取らない。

 新聞やテレビは裏付け取材もせずに県警の発表通りに住民を犯人扱いして報じながら、記者クラブでの不利益などを恐れてか、刑事たちを匿名にする気の遣いようだ。

 拙著で私はかかわった刑事や検事を可能な限り実名にした。さて、志布志事件を「辺鄙な田舎の年配者や老人たちだから警察に騙された」と考えるのは大間違い。都会で近所付き合いも薄い一人暮らしの人も狙われる。あす、皆さんの玄関に捏造警官が立っているかもしれませんよ。

こんな話―稔りの秋に思う
漫画家の河村立司さんから

 中国の壮大な棚田には目を見張る。

 日本の棚田も、長い歳月をかけて、その造成技術を真似てせっせと築き上げたのだろう。

 私の故郷(限界集落に一歩手前)の谷あいの、おばさまのでかいお尻に隠れそうな、小さな一枚の棚田も、年ごとに姿を消し、里を荒らしに鼻歌で出てくる狸や猿に好都合な雑木林に化けてゆく。

 その昔、村びとは、わがままな城主や悪代官に、ふんどし尻をたたかれ、川原石を山の中腹に担ぎ上げて土堤を築き、丸太棒をくり抜き水路にしたりして『溜め池』を造成した。

 3月、4月、5月の雨水も大切に溜め、満杯に歓声をあげた。何重にもうねる山ひだに水路を掘り、標高の落差を利用して、地主、小作の差別なく順序よく配水し、サラサラと側溝を走る腐葉質をふくむ山水は、他人の田畑にもご機嫌をうかがった。

 人力と土と石と木材で造成した、そんな細い水路を守る山の神や水神の秋祭には、新米を供え、笛太鼓の音が谷間に鳴り渡った。お神酒に酔った古老の法螺話も楽しく、大人の世界の勉強になった。明日香村のような悠久な遺跡も大切だが、猫の額ほどの棚田一枚でも必死に確保した遺構を見捨てるのは悲しい。土木工事の原点が詰め合わせになっているのだ。

 思い出は山ほどある。日照りには、たき木を背負い雨乞い山によじ登り天空を焦がして慈雨を祈った。(私も小5のとき経験した)へのへのもへじの案山子も作った。朝からフリチンで泳いだ、思い出多い『溜め池』も、いまは『古池や…』に侘びている。

 食糧危機が切迫しているいま、棚田や休耕田の再生こそ大切ではなかろうか。

飛鳥の風
フリーアナウンサーの坂口智美さんから

 今年、初夏の飛鳥は例年にも増してにぎやかだった。毎年5月になると、キトラ古墳壁画が一般公開される。それを記念して、朝日新聞社が協力する様々な記念行事が開催される。私も司会進行役として、参加させていただいた。4月から始まった各種シンポジウム・鼎談・対談・講演会はいずれも満席で、古代史ファンの熱意を実感せずにはいられない。もっとも、大学で万葉集を専攻した私にとっては、心の故郷に帰ったようであり、壁画鑑賞は恋しい人に会いに行くような毎回わくわくする楽しいひと時なのだ。毎年盛り上がり、古代史ブームの風が吹き続く「飛鳥」とは?

キトラ古墳壁画
 1983年に発見され、2004年から保存修復作業が進められ、二年前から一般公開が始まった。
 06年「白虎」…1300年前の畳一畳分位の石室墓に描かれた壁画が初公開され、約6万人が見学した。体長45cmの西の守り神は鋭い牙と長い爪を持ち、北を向き雄雄しく踏ん張っていた。威嚇した舌と歯茎・胸・腹部分の鮮やかな朱色は、私の心を釘付けにした。
 07年「玄武」…1983年に発見され、キトラ古墳の調査のきっかけとなった壁画である。蛇と亀が絡み合ったその姿は、キトラ古墳を一躍有名にした立役者としての吉兆性を持っているようだ。
 08年…極彩色壁画公開の第三弾は、02年1月に確認された「獣頭人身像」である。東西南北を守る四神の周りに描かれているが、現在は「子・丑・寅・午・戌・亥」のみ確認され、そのうちの三つが公開された。今年は特に待ち時間が多く、2時間待ちは普通と聞き、最終日の夕方に訪れた。それでも、90分は待っただろうか。子丑(ね・うし)の姿は、描かれていただろう…とかろうじて確認できる程度。残る寅(とら)は、鮮やかだった。表情もくっきり、襟元の朱色が鮮やかで、袖口が風になびく姿は守り人の威厳を感じさせる。十二支はどれも手のひらにすっぽり入る大きさだった。
古代衣装をまとった筆者

飛鳥資料館
 このキトラ古墳壁画を展示する飛鳥資料館では、天気が好いと公開期間中に様々なイベントが行われる。土曜の夜には幻想的な「光の回廊」、子供たちに人気の「金魚すくい」。日曜日には、古代衣裳を身にまとい、飛鳥人に変身できるコーナーも。「大和は国のまほろば…」だった時代を堪能できるので、お勧めだ。

 高松塚古墳壁画の一般公開
 36年前に世紀の大発見と世間を賑わせたあの「高松塚」の壁画が公開される!ついに文化庁が踏み切った。今年の古代史界の一大ニュースだろう。
 5月31日、大阪市のリサイタルホールで、シンポジウム「高松塚からの出発」が開催され、文化遺産の保護活用について活発な議論が展開された。シンポに合わせて同日、アサコムホールでは、関西大学が製作した「壁画の実物大写真パネル」が展示公開され、発見当時の色鮮やかな色彩はすばらしく、こちらも多くの人で賑わった。
 さて、肝心の明日香村の「高松塚壁画の見学」はというと、こちらは、文化庁の募集・抽選だった。落選通知が届き、がっかりしていた私だったが、思わぬ幸運が舞い込んだ。当選した東京の知人の一人が不参加だという。二つ返事でOKし、6月5日、朝一番で明日香村に向かった。
 初夏の風を頬に受け、新芽のむせかえる様な息吹を感じながら、近鉄飛鳥駅から徒歩10分。国営飛鳥歴史公園内に仮設修理施設がある。文化庁の職員により見学時間帯の当選者の人数確認がなされ、15人ずつ別室に案内される。そこで、パワーポイントで10分間、発掘の経緯と作業の現状報告を聞く。そこには反省の言葉もいくつかあった。ムカデの死骸からカビが発生した写真には、見学者たちがため息をつき、目をおおっていた。
 そこから5分ほど歩いたところに壁画修理作業室がある。いよいよ壁画との対面だ。入り口の黒幕をくぐると横16m幅1mの通路から二重ガラス窓越しに作業室が現われた。分解された16面の石材が壁画を上にして置かれ、手前三面が、北壁玄武、西壁女子群像、東壁男子群像。ガラス窓にぴったりくっついても1m先なので、あまりはっきり見えない。職員の丁寧な解説もあるせいか、思っていたより色彩の傷みはひどいとは感じなかったが、やはり36年前に報道された時の、鮮やかな壁画に対する感動には程遠い。ふと、作業室が手術室のように見えた。見学時間は約10分間だった。
 帰り道、明日香村ののどかな田園風景を眺めながら、2年前に亡くなられた網干義教先生(考古学者で関西大学名誉教授、高松塚古墳を発見)のことを思った。3年前の秋、この地で開催されたシンポジウムで、「石室解体反対!」と頬を紅潮させながら力説なさっていた姿が、今でも目に浮かぶ。国民共通の宝である文化財のあり方とは…考えさせられる一日だった。

太王四神記
 これは蛇足であるが、韓流ファンなら知らない人はいないだろう。某局で放映中のテレビドラマである。韓国の二千年前の神話時代と高句麗時代の話がミックスされている。高句麗は古墳時代や飛鳥時代の日本社会にあらゆる面で大きな影響を与えた。実際、高松塚やキトラ古墳の壁画は、高句麗からの渡来人によって描かれたのではないかと推定されている。このドラマでも、壁画に出てきた四神が重要な意味を持つ。
 6月1日、京セラドーム大阪で、このドラマの主役のペ・ヨンジュンはじめ、四神役の出演者達が勢ぞろいしてのプレミアムイベントがあった。35000人の観客を動員しての文字通りの超満員だった。10代から80代までの女性、北海道や沖縄からの観客も。男性客も多かった。いまだに吹き続く「韓流の風」。それはなぜか?真実の愛の姿や生きることの希望を描く、物語の精巧さだけが魅力なのではない。登場人物の、さわやかで美しく礼儀正しい、そして、親孝行で謙虚で年配者を尊敬する。その昔、日本では普通だった要素が、韓流ブームを支えているのだと思う。
 古代、渡来人達に学んだことを、1300年後の今、再び学ぶべき時に、日本はあるのかもしれない。
 古代のロマンと、現代の課題点をも教えてくれた「飛鳥の風」は、これからももっと強く吹き続け、私を魅了し続けることだろう。

カラダスキャンで健康第一!
弁護士で映画評論家の坂和章平さんから

 今年4月1日から私の同級生たちは順次還暦を迎えているが、私は来年1月までまだ50代。弁護士と映画評論家の二足のわらじをはいている私は、弁護士生活15年目あたりから健康に気をつかってきた。そのきっかけは平成元年に「高級」フィットネスクラブに入ったこと。高い入会金と年会費を回収しなければ損だと考える貧乏人根性が結果的に大成功。それによって運動の「快感」を身体で覚えた私は、今や日曜日の朝はテレビを観ながら2時間40分をかけた20km走が習慣となっている。その他、青汁、野菜スープ、黒酢などの健康食品は毎朝の習慣に。さらにツボ押しなどの健康グッズは見ると買ってしまい、かなりの数を持っている。もっとも、「健康のためなら死んでも悔いはない」というほどの健康オタクではないつもりだが…。

 そんな私の目下のお気に入りはオムロン社の体重体組成計カラダスキャン。私が社外監査役を務める会社の創立40周年の記念品として4月にもらったものだ。年齢・性別・身長を登録している計器の上に毎朝、毎晩パンツ一枚で乗り測定開始。体重の他、体脂肪率、体年齢、BMI、基礎代謝、骨格筋率、内臓脂肪レベル、体幹皮下脂肪率が表示される。この中でとりわけ体年齢が私を一喜一憂させてくれる。ちなみに満59歳の私の体年齢は44〜47歳。この数値がどこまで正確なものかわからないが、摂生すれば若くなるし不摂生したなと思う日は案の定…。ちなみに、夜の測定後テレビを観ながら1時間ステップ運動をし、風呂からあがって再度計ると、すべての数値が健康に向けて上昇したうえ1歳は若返っているから数字は正直!このカラダスキャン活用の結果、「1歳でも若く!」を目標に健全な生活を心がけるようになり、弁護士業も映画評論家業も快調だ。

 現在私は日常の弁護士業務に加えて、景観法の制定(04年)や京都市眺望景観創生条例の制定(07年)など景観に対する国民的関心が高まっているため、『景観紛争の上手な対処法』の原稿を執筆中。他方、映画はほぼ1日1本のペースで観て評論を書いており、映画評論本『SHOW−HEYシネマルーム』は、9月に『シネマルーム18』が、10月に『シネマルーム19』が出版される。

 毎朝毎晩身体をスキャンすることによって健康を保ち、ますます元気で頑張っていきたいと思っている。

朝比奈隆の“遺業”
関西大学教授の藤田真一さんから

 最後の音が消えてから、長大な沈黙が続いた。20秒もあっただろうか。指揮者は姿勢を崩さない。静寂の緊張のあと、ようやく指揮棒がおろされた。その瞬間、堰を切ったように絶大な拍手が巻き起こった。そして会場すべてが一体となった。

 さる7月9日は、朝比奈隆百回目の誕生日だった。シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の記念特別演奏会があった。音楽監督大植英次の指揮で、曲はブルックナーの交響曲第9番。朝比奈さんをしのぶ音楽会としては申し分がない。

 舞台には指揮台がすえられていた。暗譜の大植さんが? と不審に思って目をこらすと、朝比奈さんの遺影が置かれていた。追悼、ということだろう。だが音楽が始まってすぐ、そんな単純な理由ではないとわかった。聞き慣れた大植さんの音楽とはいささか違っている。テンポをゆったりとって、一音ごとにたっぷり分厚く奏でられる。それだけ、音楽全体に重厚さが強調されて聞こえる。そのとき、遺影の真の意味がわかった。

――今夜は遺影を前にして、朝比奈先生の音楽をやるんだ。

 そういう指揮者と楽団の意思がひしひしと伝わってきた。

 2001年12月、朝比奈さんの訃報が伝えられたとき、哀惜の念とともに、次の音楽監督のことが気がかりになった。しかし、空席の時間はしばらく続いた。大フィルは、半世紀以上ものあいだ朝比奈さんとともにあった。その後釜となると、安易なことはできまい。

 大植英次という名前が発表されたとき、演奏に接したことがなかった指揮者で、期待と不安が交錯した。2003年5月の就任披露は、マーラーの「復活」だった。聴き終わって、たちまち不安は一掃され、新しいコンビに期待が大いにふくらんだ。

 演奏スタイルや音楽作りは、朝比奈時代とは異なる方向が予感された。重厚感や厳めしさよりも、切れ味や躍動感が強調され、鋭角的な刺激が爽快だった。古典的音楽観が、一気に世界の潮流に飛び込んだ気分だった。現代性に満ちた音楽感覚に聴衆は酔いしれた。

 そんな中での記念演奏会だった。たっぷりした響き、堂々たる大きな音楽は、まぎれもなく朝比奈スタイル。朝比奈ブルックナーの再生をめざしたのは明らかだった。指揮者と楽団が一体となって、遺業を再び現出しようとする姿があった。考えてみれば、きょうは誕生日であって、命日ではないのだ。朝比奈音楽の蘇生を念じてなんのふしぎはない。

 だが、聴くうちに、さらなるメッセージの込められているのに気づいた。

――朝比奈さんはみなさんとともにあるんですよ。

 朝比奈音楽は記憶と録音の中にあるのではなく、朝比奈さんを愛したみんなとともに生き続けるということを、音楽が語っていた。終演直後のあの沈黙と拍手は、みながそれを受け止めた証だった。遺影はそのシンボルだった。会場の全員がそう感じたはずである。

 オーケストラは一朝一夕にできるものではない。長い年月をかけて、特有の音が作り上げられてゆく。団員は少しずつ入れ替わるものの、永年培った楽団の音色は受けつがれてゆく。老舗の秘伝のタレが、継ぎ足し継ぎ足しして、代々継承されていくのと似ている。

 朝比奈さんの半世紀を次代につなげようという明確な意思表示が、この記念演奏会にあった。大フィルの音は、指揮者とオケ、そして聴衆の三者一体のものだということも示した。聴衆の圧倒的な支持をえた晩年の朝比奈隆、それをみんなの遺産として継いでゆきたい、そんな思いのあふれた音楽会の一夜だった。

 オーケストラの運営は難事業だ。それでもいったん解体されると、音はそこで途絶える。がまんして息長く続けてこそ、音が伝統となり、音楽が遺産となってゆく。

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