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日露戦争以来続いた名称だったのか。
昨年12月の組織改革で大阪、東京両本社編集局の整理部は、「編集センター」と名前が変わりました。先行して数年前に名称変更していた西部、名古屋両本社と合わせて4本社整理部がすべて新名称で統一されたのです。「整理部」は伝統ある呼称ですが、社外の人に仕事の内容が伝わりづらい側面があり、以前から部内では名称変更の機運がありました。
それが今回、組織の縦割りの弊害を除くことを狙って、社会、生活文化などの出稿部が「部」から「グループ」に変更されるのを機に、積年の思いを実現した形です。
長年連れ添った名前に別れを告げたので、改めて「朝日新聞社史」を繰ってみると――。東西別会社だった「大阪朝日」に編輯局が置かれ、7つの係の一つに「整理係」の名前が見えるのが明治37年(1904年)12月。日露戦争開戦の年でした。ちなみに他の6つの係は、論説、東電(東京との電話電報を担当)、経済、府市、通信、社会。
これに遅れること7年。東京朝日も明治44年11月に編輯局を置きます。ただしこちらは整理ではなく「編輯部」でした。下って大正11年に東京も整理部となり、東西が同一呼称になりました。
以来、国内の多くの新聞に整理部が置かれて、紙面編集の要となってきました。けれども我々同様、名称と仕事内容のギャップに苦しんだのか、ここ10年前後の間に名称変更が続いています。朝日、毎日、読売、産経、日経、共同通信6社でつくる「在阪整理部長会」では、毎日「編集制作センター」、読売「編成部」、日経「紙面編集部」で、「整理部」は産経と共同の2社だけになりました。
「整理」から「編集」へ。名称変更は、単なる看板の書き換え以上のものがあると思っています。二つ理由があります。一つは、日々の紙面編集では、出稿部が書いた記事が集まってくるのを待ってからではなく、かなり早い段階から内容への注文、写真やグラフなどの発注を編集センター側が行うケースが多くなってきた実態があります。
もう一つは、紙主体で来た新聞社がインターネットとどう向き合うか。WEB上へのニュース配信と紙面編集は現在別々ですが、海外の主要紙の中では一体運用するケースが増えています。将来的に合体されるかどうかは別として、緊密な連携がますます必要になってくると思います。 (あべ・けいすけ)
名称変更の目線の先に、異なるメディアによる大競争時代の到来を予感しています。 (あべ・けいすけ)
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