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アナログとデジタル
作家の藤本義一さんから

 55年前に文章を書いて身を立てようと思って今日に至っている。

 この“55年前”という表記をするとは考えてもないことだった。

 15年前頃から“アナログ”と“デジタル”の谷間に落ち込んで、また混乱が生じてきた。自筆で原稿を書くのがアナログで、ワープロで文章を綴る人はデジタル派だと勝手に解釈を下し、私は最後までアナログ派に徹してやろうと決めた。そして、アナログとは長針が時計の盤上をひと回りしたなら短針は一コマ動くことであり、デジタルは数字だけで表示される時計盤であると解釈し、自分を納得させるようにした。

 ところが最近になって“ケータイ小説”というのを手にした途端にこの混乱はさらなる大混乱を頭の中に連れ込んできた。ケータイ作家といわれる若い人たちは、ケータイのインターネットサイトを使って、自分の個人の配信を出発点にして多数の他人からの短文を連続させて“小説”を完成させて出版させるわけで、自分のテーマ(主題)もストーリー(物語)もコンストラクション(構成)もないわけである。それでいて一番に立ち上げた者の小説として著作権が認められるという不可思議なものだ。ブログ(日記)を更新するのと同じ感覚で小説を執筆?するのである。

 他人の褌(ふんどし)で相撲をとるという古い言い方が姿を変えて現代に横行しはじめたのだ。

 その奇怪な作り方の小説が映画化され、映画会社や出版社によってネットの世界から書籍化されて売り出されるという。

 ちなみに、最近の書籍化された小説『ラストラブ』の売れ行きを調べてみて仰天した。原作者はYoshiとあって、初版25万部だという。この初版部数は、破天荒というしかない。

 この奇怪な小説の制作プロセスを考えているうちに、最近の奇怪な犯罪と共通点があるように思えてきた。

 バラバラ事件である。

 生体というアナログ物体を殺害して、その遺体をバラバラに切断してデジタル化した上に袋に入れて捨てる。この考えは、ケータイ小説と逆の方法で生れた犯罪だといえるのではないか。

 デジタル的文章をツナグというケータイ小説の作り方とアナログ生体の人間を殺害して切断するというバラバラ事件の容疑者の思考は一致していると考えられる。

 が、報道で伝えられる犯罪心理とか異常心理の専門家は、この点に一切触れていない。個人の異常心理がもたらした犯罪といった具合に片付けられている。

 現代日本が対面している心理の異常な変化をもっと深く広く掘り出していかなくてはならないのではないか。

 これは人間対社会の人間としてどう対応するのが正しいかということに通じるとも思われる。これは教育面でもいえるし、参院の選挙延期の件にもいえることである。

 過去の深い面を掘り起すのを日本人は忘れてしまったのではないか。

 アナログからデジタルが生れ、本来のアナログ世界を古いという一言で切り捨てたところに世相の歪みを作った原因があるというのを日本人は改めて考える時期ではないだろうか。

 

 

「金魚すくい」 久保 修(切り絵画家)

 旅先の宿で、主人から今晩近くの天満宮にて縁日があると聞いて、久しぶりに出かけた。参道には、縁日と言えば露天商が並ぶ。その光景に童心に戻ったように楽しく心が弾む。
 まずは、お参りを済ませた。色々な店を覗きながら焼きトウモロコシやイカ焼きの醤油の焦げる匂い、たこ焼き、鯛焼き、氷の上に並ぶメロンやパイナップルのフルーツの香りなどが入り交じる中を僕は、目的の店を探して歩く。
 その店とは、「金魚すくい」だ。小さいころから祭りや縁日では、必ず行っていた。すでに子供達が陣取っている。躍る気持ちを抑えて順番を待つ。やっと金魚の泳ぐ箱の前にしゃがみ込むことが出来た。ポイを持ち素早く金魚をすくい始めると周囲から歓声が上がる。ボールは金魚でいっぱいになっていく。みんなの注目の的になった。
 ふふふ・・・僕は、金魚すくいの名人なのである。

 

7月22日に大阪で納涼講演会
上方文化評論家の福井栄一さんから

1.日時:2007年7月22日(日)11:00〜12:30
2.演題:「怖くて楽しい『もののけ』ばなし」
3.内容:日本の文学や芸能には、「もののけ」がいっぱい!逃げても逃げても追いかけてくる幽霊、祟る怨霊、化かす妖狐、襲いかかる鬼…。長い歴史を通じて、その時代その時代の日本人を震えあがらせてきた「もののけ」たちは、実は現代でも健在なのであって、科学文明をあざ笑うかのように、私たちの眼前に現われます。そうした「もののけ」たちを、図像も交えながら詳しくご紹介して、日本文化の闇の系譜を明らかにします。ちょっぴり怖くて、めっぽう面白い納涼企画講演です。夏のひとときに、必聴です。
4.講師:上方文化評論家 福井栄一
5.会場:朝日カルチャーセンター大阪(大阪市北区中之島3-2-4、 地下鉄「肥後橋」駅下車)
6.参加費:お1人様2800円
7.お問い合わせ&お申し込み:朝日カルチャーセンター大阪
 (電話06-6222-5222) 

『出会いカンタービレ〜意志を育む“自戒の力”〜』を刊行
甲南女子大学教育研究センター所長の島田博司さんから

 このたび、甲南女子大教育研究センターでは大学授業実践記録集『出会いカンタービレ―意志を育む“自戒の力”』(同大教育研究ネットワーク叢書11)=写真=を発刊しました。

 教育現場では、「人に迷惑をかけることは、してはいけない」という言葉がよく使われます。これは、大人が子どもを教育するために自分の行動に一定の歯止めをかける、<戒めの言葉>です。しかし、この言葉の逆手をとるかのように、「人に迷惑をかけなければ、なにをしてもいい」と巧みに読み替え、「自分の行動に歯止めがかからないように無化する若者が少なくありません。

 こうした事態を案じて、大学授業にて「自戒づくり」の試みを行いました。学生は、各自が自分の目標となる「自戒」を設定し、3週間以上トライします。

 学生が戒めとしたことには、「自分には関係ないではなく、面倒なことでも積極的に自分から向きあう」「だれかに頼みごとをされても、なんでもすべてを受けいれようとはせずに、できないことはできないと断る」などがあります。

 前者の戒めを実行した学生は、「グループ内でもめたとき、面倒なことは避けてきた。そこから抜けだせずにいた。戒めを意識し心がけているうちに、相手との距離を近づけるために時間をかけて毎日のように話をするようになった。納得いくまでお互いの思いを伝えあえただけで、いま充実した関係が築けている。自戒に感謝」と報告していました。

 戒めは、自己成長のためのよい自己修練となったようです。それはまわりにも波及効果をもたらし、自己との出会いや他者との出会いが促されたようです。

 みなさんは、自分なりの「戒め」をもっていますか? もしかすると、心のささくれがとれるかもしれません。

大阪・サンフランシスコ友好姉妹都市提携
50周年記念事業交流企画騒動 四

社団法人日本漫画家協会参与の玉地俊雄さんから

 天神祭りが終わるとにわかブッディストが増えて、盆と正月ごとの、衣ばっかりでほとんど中身の無い海老テン坊主どもがウハウハの、ごった煮日本的宗教風情が散見される。紫陽花がやがてむくげに変わり、朝顔の観察日記とともに孫がゴロゴロする季節となる。年年歳歳花は同じゅう咲くも 年年歳歳人は同じゅう在らず。手塚治虫が還暦の赤いベレーを被らぬまま没したのと同じ年齢に達した。嗚呼、男児と生まれて名を成さざるに身は既に老ゆ。

 「火の鳥・未来編」

 「色」を行い新しい生命、子供が生まれればどちらも即是らは、空しいところ死、という永遠の輪廻と輪廻の途中の道を歩み始める。その結果空しいすきまができれば即、次の是らが色を行い新しい生命を押し込む。

 「色」という字は小さい男の「人」が大きな女の「人」の上に乗っかり、後背位で性交している象形文字から出来ている。色事の所以である。

 森羅万象生あるものは必ず滅び、滅びることは次の生命の為に必要不可欠だ。数億年の昔、細胞分裂から遺伝子交配へとの道を選んだ生命の宿業。「死」

 「火の鳥・未来編」は手塚治虫の生死観があからさまに表現された傑作である。

 生き残る為の弱肉強食と呼ばれる自然の摂理と業を、あえて醜い言葉で表した、エゴイズムと憎悪を制御できない人間と呼ばれる癌細胞が歯止めを失い、宇宙生命体である宇宙船地球号上に調和し共生していた地球家族たちを絶滅させ、やがて人類をも壊絶させる道を選ぶ。たった一人生き残り、火の鳥の血の呪いから絶対死ねない運命の主人公が、絶望と寂寥と、愛しても愛しても別れ続ける永遠を苦しむ。そして、宇宙生命体に生かされている事に気づかぬ生命の無力と運命のかなたに、永遠の命・色即是空空即是色・輪廻転生と、無垢なる新生命の再生を告げて幕を閉じる。

 「タマヂィがこの家に何度も帰ってくるのは、ずっと昔家族だったんだろう」と、15年間通うバリ島の白拍子の父親の言葉に、家族と、世界と、繋がりと、愛と、輪廻転生と、無神論である僕、とのかかわりがはじめて実感として理解できたのと同様、中学以来の生死観に対する謎の答えが、漫画という形をとった哲学書としてみごとに表現されている。

 赤子の笑みと寝顔と背反二律の無垢の死にあるような、個の生命の中で完結すべき悟りとは程遠い、法外な布施を強要する読経と法要、水車の有・無との銭しだい誇大妄想的葬式、エセ権威と末法思想で脅す営利目的集団欲ボケ海老テン破戒坊主ども恥じ入れ。

 吾卒当以楽死

 あぁ吾ついにまさに楽しみをもって死にたや。

 いわんや、生きることと作ることはとても苦しいが、この苦しみの中にこそ作り上げる楽しみがある。

 命の限りに創る僕にとっての大切な営みが、関わりを持つ全ての衆生に繋がり、これが今と未来に少しでも快意と受け入れられるのならば僕の生は意味がある。

 生きて創らねばこの世界の何かが混乱する。

 生きることに酔い夢のうちに死す。しかし僕にはもうあまり時間が無い。
絶世の白拍子 ビダニを10歳の頃に
撮影Smiling Bidani

 時間が無い。そういやぁ、大阪・サンフランシスコが50周年のなんたらは、盆が過ぎたらその次の9月の頭には実行せんならん。更にもっと時間が押してるのは、スクエア3月号 Vol.92で布石を置いたバリ島UBUD大王チョコルダ氏のもと、北の王宮ジェロ・ウランダリ王妃から、チヨコルダ・G・P・スカワッテイ氏の、故父王と随行してバリの舞踏楽団グヌン・サリを、1931年フランスはパリの植民地博覧会に紹介し、現在の「芸能の島バリ」「絶世の美ウブトの白拍子と陶酔の音ガムラン」との世界的評価を決定づけた、故A・A・G・ヌラ・マンダラ翁没後20年の、四舞踏団門外不出特別公演と大祭に8月の後半の3日間招待されてしもぅてたんや。

 ゆかずばなるまいのでチケット買ぅたが帰国は渡米前ギリギリになってしもた。

 ということは、僕の受け持ち分・講演会の内容と展覧会のいっさいが後2週間で確定されねばどっちも大変なことになる。そうや、このさいバリのモロモロもサンフランシスコに持っていこう。いや逆か。えぃ、もう解らへんっ。

国際社会で共に生きるために――
拷問禁止委員会対日勧告とメディアの役割を考える

龍谷大学法科大学院教授の戸塚悦朗さんから

 日本が満州事変を起こしたとき、国際連盟は日本に撤兵を勧告しました。日本は全面拒否、国際連盟から脱退し、大戦争へ突進しました。世界と共に生きる道を拒絶して以来、日本は国際法違反との国際勧告に従う政治的な決断ができないままなのです。

 不安なのは、過去の行為を「間違いだった」と反省する人たちも、「軍部・政府・財閥など一部のせいだ」とするのが一般的に見えることです。しかし、それは正鵠を得たものとは言えないと思うのです。かと言って、「1億総ざんげ」では、責任の所在はうやむやになります。

 国際連盟脱退を一致して支持したマスメディアの責任も含め、日本のアジアへの侵略戦争と植民地支配を支えた思想・言論・宗教など各界の責任を具体的に検証することが必要です。朝日新聞(夕刊)の『新聞と戦争』シリーズは、同新聞あげての戦争協力の歴史を克明に報告していて、注目に値します。このような反省が、国際問題への高い感受性を育てるでしょう。

 感受性テストの好機がありました。拷問等禁止条約が設置した拷問禁止委員会は、第1回日本政府報告書を審査し、5月21日最終見解を公表しました。そのなかで、日本軍「慰安婦」問題への対応について「日本政府は義務不履行」と厳しく批判したのです。英文最終見解を読んだ感想ですが、代用監獄問題など誰でも予想していた事項以外に、日本軍「慰安婦」についても明快な対日批判が含まれていて、日本政府にとっては大変厳しい重要な勧告だと言えます。これまで他の人権条約機関も「慰安婦」問題で日本政府を批判してきましたが、拷問禁止委員会はもっと多くのスペースをとって最終見解(パラグラフ23)で、日本軍「慰安婦」被害者への救済がないことを指摘し、救済を勧告しています。

 ジュネーブの国連人権高等弁務官事務所で開催された委員会の政府報告書審査は、メディアに公開されていますし、ジュネーブ国連欧州本部内に常駐している日本人特派員にとっては、至近距離で起こったことです。日本からのNGO代表もメディアに相当丁寧に情報を提供したでしょう。「拷問禁止委員会」で検索すれば、アジア女性資料センターなどNGOの日本語ウェブサイトで情報を入手できます。委員会の英文勧告(未定稿)もNGO報告書も、国連人権高等弁務官事務所ウェブサイトに掲載されていますから、情報収集も容易です。

 このニュースを時事通信が5月21日に速報したのも、共同通信が同29日に長文の報道をしたのもさほど困難な取材を伴ったとも思えません。問題は、通信社をのぞき、日本語主要メディアがほとんどこのニュースを報道してこなかったことです。ジャパンタイムズは29日にかなり大きな英文記事を載せました。しかし、これは日本語ではありません。主要日本語メディアは、「それほど重要なことではない」とパスしたのでしょうか。「日本のメディアの国際センスは、満州事変当時からあまり変わっていない」のではないかと危惧を感じます。

 私は、1992年この問題を国連人権委員会に提起し、その後の経過を、著書『日本が知らない戦争責任』(現代人文社)、『ILOとジェンダー』(日本評論社)で報告しました。当初この問題は、国際社会にほとんど知られていませんでしたが、今は違います。いくつかの国連報告書、ILO報告書、国際法律家委員会、アムネスティ・インターナショナルなどの詳細なNGO報告書が積み重なってきています。だからこそ米国議会がこの問題を審議しているのに、当の日本の人々がその重大性をよく理解できないままなのです。

 日本の市民に国際社会からのメッセージを伝えるのはメディアの役割ですが、大新聞が沈黙していては、国際社会と日本の人々の間の溝は埋まらず、日本の国際的孤立は深刻になるばかりではないでしょうか。

こんな話 ―追憶―
漫画家の河村立司さんから

 ふらっと出かけて盛り沢山な収穫を抱えてかえってくる旅名人も多い。反対に、とにかく、あそこはまだ行ってないので、いちおう行ってきたとおっしゃる呑気な欲張り屋さんもいる。旅の夢遊人だ。

 用意万端おさおさ怠りなしで、出かけるまえからもうお疲れのひとも珍しくない。内田百■さんは「別に用事もないが出かけてみる」と言いながら、道中を人一倍たのしみ、目的地を追加したり変更したりして、あれもこれものグルメ三昧。こんな超の付く旅名人の紀行文は繰り返し読んでも愉快だ。

 パック旅行全盛のいまは、蟻の行列のようにルートが管制されて道草も許可されない。ハプニングは御法度ときたら旅の思い出記もみんなおなじパターン。だったらパックツアーもやがてスタイルを変えてくるのではなかろうか。

 あまり旅の経験のなかった私も、新聞社のデスクから「どこかへ出かけてみて、ナニか書いてみたら・・・」とおだてられ、ついその気になってどこかへ出かけるクセがついた。それでも、それが面白くなってきて、かなり長期間、独り旅をエンジョイできた。いまではあっちこっちの思い出を復習しながら臆面もなく、あそこは宿が良かった、あの温泉は混浴OKだった、あの駅裏の小さな飲み屋はどうのこうのと、古い博識(?)を披露してケラケラと笑われている。

 だったら、再訪して、どう変貌しているか確かめてみたらいいものの、それはもう億劫になってきた。

 「再訪ルポもいいじゃん」

 とある編集者にそそのかされたりしたが、行ってみて、どうせマイナスばかり目につくだろうと決めこんで動く気もなく体力もない。日本は隅々まで荒んでいるはずだからと、カッコよく断っている。

 追憶はたのしい。新幹線も東京―博多の1本しかない時代、ずいぶん在来線や田舎のバスのお世話になった。終バスが行ってしまった山里をとぼとぼと歩いたこともある。

 信州・松本駅では、たむろするアルピニストの重装備と青春の汗のにおいに圧倒された。

 遠野では、民宿のおばあさんの怪異な物語を囲炉裏をかこんで深夜まで聞いた。クライマックスに、煤けた部屋の電灯がパッと消え、暗闇からザザーザザーという妖気な音がしのびこんできた。宿のおかあちゃんが細い竹ぼうきで隣の部屋の障子を撫ぜて、怖わーい擬音の大サービス。特攻基地だった知覧では富屋旅館のトメおばさんに会えた。アッパッパ(夏の簡単服)のトメさんの胸もとの汗をいまもはっきり覚えている。若い隊員が一膳飯をかきこんだ粗末な飯台に落した私の涙をトメさんがボロギレでぬぐってくれた。

 修善寺温泉では宿の予約を忘れて出かけ、通りすがりの芸者さんの紹介で安宿にはめこんでもらえた。礼状はちゃんと出しておいた。

 あれやこれや、懐かしい思い出を紡ぐと、こころの財布がふくらんでくる。1ページごとの追憶が「ぬり絵」となって現れてくる。
 *内田百■の■は“門構え”の中に“月”

「モノ」こそ博物館の宝
日本玩具博物館館長の井上重義さんから

 姫路郊外の香寺町に小さな玩具博物館を個人で設立したのは1974年。この11月10日で開館満33年を迎える。開館後も、「評価されることなく失われる、子どもや女性の文化財を収集し後世に伝える」という使命を持続した。当初5千点だった資料は8万点にもなって、いくつもの特色あるコレクション群を築き、施設は6棟計約700平方メートルに増えた。

 世界の玩具コレクションについては、スクエア会報80号(2006年1月発行)に書かせていただいたが、恐らく世界でも珍しい貴重なコレクションを築いたと考えている。国内資料も当館でしか見ることができないものをいくつも築いた。「関西特有の御殿雛」「ままごと道具」「子供用の面」「祭りの玩具」「駄菓子屋の玩具」などであるが、特筆すべきは「ちりめん細工」である。

 ちりめん細工は江戸時代に上層階級の女性の手から生まれた手芸品。着物の材料である縮緬の端布で花、鳥、人形などの小袋や小箱が作られた。ところが生活様式の変化などで、昭和に入ると作る人もなくなり忘れられた。その存在に気付き収集を始めた資料が3千点にもなった。

 今春、東京・渋谷のたばこと塩の博物館で、当館資料による企画展「ちりめん細工の世界」(2.10〜4.8)が開催された。期間中23,412人(1日あたり468人)もの入館者があり、同館の過去10年間で最高の入館者数を記録した。「素晴らしい展示に感動した」と再訪者も多かった。

 博物館の最大の使命は「失われる文化遺産を集積し後世に遺すこと」にある。しかし現在、博物館の多くが目先の集客に走り、資料収集に消極的だ。先日、東京で博物館の学会があり出席したが、文科省担当者の「県市など公立博物館の資料購入費の年間予算は100万円以下が4分の3を占めている」との報告に驚いた。当館の年間収集費はそれを超え、数百点の資料を収集する。魅力ある資料を持たない博物館に、果たして人は行くだろうか。

 来館者を感動させる資料を持つ当館には、遠く関東や九州などからの来館者も多く、海外からの来館者も目立つ。「来てよかった」と感動してくださる。ところが入館者は、ここ15年間で6万から4万人を割るまでに減った。ポツンと郊外にある博物館に、わざわざ足を運んでくださる人が減ったのは確かだ。

 慶応大の上山信一教授は『ミュージアムが都市を再生する』(2003年12月発行)で、博物館も都心回帰やサテライト施設が必要ではないかと問題提起され、文化施設は集積させてこそ都市の魅力が創出できると述べられている。同感である。

 大勢に当館の資料を見ていただくためには、集客都市での分館造りや既存の館との提携を真剣に検討する時期が来たと考えている。一個人が集めた資料とはいえ、文化財は公共の財産でもある筈だ。公的支援のない私立館の大切な資料を後世に伝えるために、会員諸兄のお知恵をぜひお借りしたい。

PREXラオス同窓会が7月に発足します
(財)太平洋人材交流センター(PREX)専務理事・事務局長の藤田賢次さんから

 2007年7月、13番目の同窓会「PREXラオス同窓会」が発足します。メンバーは、日本での研修の成果を活かして国の発展のために活躍している企業経営者、日本センター所長ら34名です。同窓会は、研修参加者の交流の拠点となるだけでなく、PREXの研修実施のための現地ニーズの提供や、現地研修実施の際の事務局としての仕事を担ってくれる心強いパートナーです。

 PREXでは、1990年設立以来、現在までの間に、1万人を越える研修参加者を対象に、延べ333コースの研修を企画、実施しています。訪日研修への参加者は3,161名、現地研修への参加者は7,076名です。現在、訪日研修参加者を中心に、13の国・地域にPREXの同窓会が設立されています。シンガポール、マレーシア、インドネシア、フィリピン、タイ、ベトナム、中国(北京を中心に、東北、華東、華南、西北、西南、上海に連絡会設置)、重慶、モンゴル、中央アジア、メキシコ、ミャンマーそしてラオスです。

 PREXは、計画的に同窓会フォローアップセミナーを開催しております。18年度は、シンガポール、インドネシア、中国、ミャンマーで実施しました。19年度はラオス、モンゴルで実施の予定です。PREXでは、研修を一過性のもので終わらせるのではなく、研修をきっかけに作られた人的ネットワークを大切にし、協力関係を維持・強化していくことが、設立趣旨に沿った活動だと考えています。

 今後も、研修事業を通じた開発途上国の人材育成の協力とともに、人材交流の促進、研修参加者との人的ネットワークの強化を地道に継続し、相互理解を深め、日本、関西のファン作りに努めていきたいと考えています。

*財団法人 太平洋人材交流センター(PREXプレックス)
 http://www.prex-hrd.or.jp ▲

ライブ『うた・た・ね♪Vol.7』を開催します!
ヴォーカリストの浜野千春さんから

 〜日本の歌、外国の歌、なつかしい歌、クラシックからジャズまで、色々なうたのたねが、あなたの心に届いて、花ひらきますように♪〜
● 7月21日(土)午後6時30分〜
● ギャラリー ポンテマーノ(地下鉄都島駅、JR桜ノ宮駅より徒歩5分)
● 2000円(お茶とお菓子付)
● 浜野千春(ヴォーカル)西村恵一(ヴァイオリン)宮川真由美(ピアノ)
● 星に願いを、夜来香、チャルダーシュ、エトピリカ、他
※追加の飲み物は、ビールは300円で会場で販売、その他飲み物は持ち込みOKです。席に限りがありますので、必ず予約ください。
※予約・問い合わせはポンテマーノ(06―6927―7801)まで

7月24日に大阪で日本出版学会の研究会
夙川学院短期大学准教授の湯浅俊彦さんから

 日本出版学会2007年度第3回関西部会
○日時:2007年7月24日(火)18:30-20:30
○場所:関西学院大学・大阪梅田キャンパス1003号室
 大阪市北区茶屋町19−19 アプローズタワー10階 阪急梅 田駅下車。茶屋町口から歩いて5分。「梅田コマ劇場」や「ホテル 阪急インターナショナル」のあるビルです。オフィス用エレベー ターをお使いください。
○テーマ:「大型書店から見た出版の現在―『希望の書店
論』を刊行して」
○報告者:福嶋 聡氏(ジュンク堂書店大阪本店・店長)
○参加費:非会員500円。非会員の方も歓迎ですので、お気軽に ご参加下さい。当日直接会場にお越しください。
 終了後、懇親会を予定していますので、ご自由にご参加ください。
○当日の進行は湯浅俊彦が担当します。

ヨシ復活作戦=
びわ湖よしよしプロジェクトの一定成果

「地球に謙虚に」運動代表の仲津英治さんから

自然は、自然の力を活用して復活させる

 平成15年(2003)1月18日、京都でこれからの淀川水系のあり方を提言する市民参加型の淀川流域委員会の最終報告が行われました。その中で私には「自然は、自然の力を活用して復活させる」というスタンスが印象に残りました。例として水の浄化力のあるヨシ(葦)が挙げられます。

 「地球に謙虚に」運動HPの「試みの記録」のコーナーで、同年1月19日以来試みられている、ヨシ復活作戦=びわ湖よしよしプロジェクトの記録を継続的に掲載しています。場所は、琵琶湖大橋少し北の湖西の大津市和邇中浜(旧滋賀郡志賀町)の喜撰川の河口付近が第1号の試みのところです。他に高島市(湖西)の新旭針江湖岸、続いて旧能登川町(現東近江市)の栗見新田、長浜市の川道湖岸でもトライを行なっています。

 河川・湖の岸辺にはヨシが自生しています。経済的にはヨシぶき屋根や簾などに活用される以外何の価値も無いように見えるヨシは、水を浄化し、酸素を水中に取り込み、生態系を豊かにする貴重な存在なのです。一定以上の幅のヨシ帯は、ブラックバスなど肉食性の外来魚からその湖に元々生息している小魚が身を守るために逃げ込める領域も形成しているのです。野鳥も多く生息します。

びわ湖よしよしプロジェクトの一定成果

 このほど、5月6日にびわ湖よしよしプロジェクトの推進リーダー寺川庄蔵氏(びわ湖自然環境ネットワーク代表)から、「和邇中浜で2003年から始めて、なかなかうまくいきませんでしたが、今年になってその成果がはっきり出てきました」とのE-Mailが入り、早速現地に行ってみました。4年目の正直です。
 
写真1 消波工手前のヨシ群近望(07年5月)

 2004年に設置した粗朶消波提が見えなくなるほど植栽したヨシが根付いており、両サイドからのヨシの進出が見られ、ヨシのなかった約10メートルの空間がつながっているのです。寺川氏に拠れば、「砂の堆積もさらに進んできていることが確認でき、水鳥の巣が見つかった」とのことです。(写真1)

 そして竹筒で根を保護した竹筒のヨシはほとんど芽を出すに至らず、直植えしたヨシが根付いることも判りました。竹筒ヨシ苗があまり成功せず、直植えヨシが活着して来たのが印象的です。不耕起栽培(田んぼを耕さない農法)では、稲本来の生命力を活かすため、わざわざ硬くした田んぼ土壌に稲を植えます、共通したものを感じました。

 今まで試みてきましたのは、ヨシ苗を植えても琵琶湖の荒波ですぐ流されるため、岸辺から数十メートル離れた所に山林からの間伐材と粗朶(柴)を持って消波工を設置することです。間伐材で作った2.8メートルの杭を高さ1メートル以上に打ち込み、桁を渡して構築物を作り、そこで天然柴の粗朶を積重ねて消波工に仕上げるのです。この消波工も琵琶湖の荒波で壊れたり流されたりしましたが、補強方法を経験から網出しかなり揺るぎ無いものが出来て来ました。(写真2)
 
写真2 完成消波工とヨシ植栽(03年1月)
 
写真3 竹筒に埋込まれたヨシ(03年1月)
 
写真4 バンかオオバンの巣(07年4月)

 写真2は、平成15年(2003)1月17日夕刻撮影のもので、少し沖合いの完成した消波工の手前に、竹筒ヨシなどを植えたのです。写真1は、平成19年(2007)5月7日撮影のもので、見比べて頂くと消波工の手前にヨシが根付き、繋がってきたことが判ります。

 また、上述のようにヨシ材は、消波工の内側に竹筒の根の部分にヨシが根を出せるよう穴を開け、土で包んでヨシを竹筒に差込み、それを砂穴の中に埋め込み、杭を打って竹筒をくくりつける方法を試みて来ました。消波工を越えてくる波からヨシを守るための工夫です。しかし殆ど成功せず。一部のヨシをそのまま地植したのが根付いて来たのです。竹筒の中で詰め込まれたヨシ苗は却って窮屈な思いをして枯れて行ったのでしょうか。ヨシの植栽方法として工夫して来ましたが、自然に近い物が生き残り根付いたことはやはり「自然に学ぶ」ということなのでしょう。(写真3)

 またヨシが根付いてくれた理由として水底の砂が安定滞留したことが上げられます。よくヨシは、ポツンポツンと離れ離れの状態のものを見かけますが、その手のヨシの周りの底地には砂が少ないのです。波と水流が砂を奪って行き、結果ヨシの生息範囲が狭くなるようです。その意味で消波工は川が運んでくる砂を滞留させる働きもしてくれているものと思います。

 また前述の水鳥の巣は、野鳥に詳しい方に照会しますとバンかオオバンではないか、との事でした。今頃巣立って親鳥に守られながらヨシ林の中ですくすく育っていることを期待しています。私は親鳥が巣を放棄しては行けないので確認のためにヨシの中に入ることは控えました。(写真4)

 本びわ湖よしよしプロジェクトは、環境NPO、業者、行政(国土交通省、水資源開発機構など)、学者の4者共同参加型プロジェクトです。この連携を活かしながら、今回の朗報がさらなる自然回復に繋がっていくことを期待しています。皆様方も関心を持って応援して下さるようお願いします。

事務局からのお願い
8月号はお休みさせていただきます


会員消息などの原稿は8月20日までにお寄せください。
いただいた原稿は次号(9月号)に掲載します。

 

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