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2007年08月03日

長野市の南東にある松代町には、第2次世界大戦中につくられた大きな地下壕が今も残っています。この地下壕は、天皇・皇后の地下壕と、「大本営」といわれる日本軍の最高司令部などを東京から移転する目的でつくられたものです。米軍による東京への空襲が目前に迫った1944年秋に工事が始まりましたが、完成前に日本は敗戦。移転計画は中止となりました。

●松代大本営
▼所在地 長野県長野市松代町西条479−11
▼開館時間 9:00〜16:00(入場は15:30まで)
▼休業日 第3火曜日と年末年始(12月29日〜1月3日)
▼入場料 無料
▼交通 JR「長野」駅からバス「古戦場」経由「松代」行き「松代」駅下車、徒歩15分
▼お問い合わせ 026−224−5042

なぜ松代町が選ばれたのか?
米軍による本土空襲を覚悟した日本軍は、最高司令部の大本営や皇居、政府機関を移転する計画を秘密裏にすすめました。移転先にふさわしい土地をみつけるために調査をした結果、海から遠く、地下壕をつくるのに適した松代の3つの山が注目されました。「信州は神州ともいわれ、神の守りがある」「長野の人々は純朴である」など、縁起もよさそうだったため、松代町への移転が決まったといわれています。
1万人ぐらいの人が働かされた!
Q.こんなに大きなトンネルをつくるなんて、さぞかし工事は大変だったでしょうねぇ…。
A.約3000人の日本人と、約7000人の朝鮮人が働かされていたそうだ。
Q.そんなに多くの人が! でもなぜ朝鮮の人たちが働かされていたのですか?
A.当時、日本は朝鮮半島を植民地支配していたんだ。朝鮮には、仕事や土地をうばわれてしまった人たちがたくさんいて、なかには無理やり日本に連れてこられて働かされていた人々もいたんだ。
Q.ひどい…。
A.いちばん危険なダイナマイトをしかける仕事は朝鮮人にさせたといわれている…。事故で死んだ人はたくさんいたし、病気で死んだ人もいたそうだ。
Q.働かされていた朝鮮の人たちは、戦後どうなったのですか?
A.国に帰った人もいれば日本で生活を始めた人もいるが、日本の政府は、朝鮮の人々に対して個別に補償する必要はないという立場なんだ。この地下壕も戦後は訪れる人もなく忘れ去られていたが、戦争中の真実を伝えるために、1990年から公開されるようになったんだよ。
もっと知るためにガイドをしてもらおう!
1週間前に予約をするとくわしく案内をしてくれます(謝礼が必要)
▼ガイドに関するお問い合わせ(松代大本営の保存をすすめる会)
▼電話とファクス 026−228−8415
▼ホームページ 松代大本営のホームページ
歴史館も要チェック!
もうひとつの歴史館・松代
▼所在地 長野県長野市松代町西条479−13
▼電話番号 026−278−7746(開館時のみ)
▼ホームページ もうひとつの歴史館・松代のホームページ
▼開館期間 3月下旬〜11月上旬の火曜日をのぞく毎日
しゃかぽん19号・写真 ミワタダシ/取材協力 島村晋次(松代大本営の保存をすすめる会)
提供:週刊しゃかぽん
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