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狩野派の嫡男として早くから天賦の才能を発揮した永徳は、織田信長や豊臣秀吉の御用をつとめ、豪壮で力動感溢れる桃山大画様式を確立した。安土城や聚楽第など大建築の障壁画に絵筆をふるう。疲労がたたったのか47歳で早世。
30代で能登から京へ上った等伯は、長谷川派を形成して、狩野永徳のライバルとして天下人の御用を激しく争った。桃山大画様式の豪放華麗な金碧障壁画を残す一方で、中国絵画や雪舟に倣った独自の水墨画を確立した。