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B29から撮影、三菱工場空爆の瞬間 日本初公開

2007年04月12日

 静岡空襲の約2カ月前の1945年4月、旧静岡市にあった航空機関連の軍需工場・三菱重工業静岡発動機製作所(三菱工場)が2度にわたり爆撃された。この三菱工場爆撃の時、米軍がB29から空撮した写真が、静岡平和資料センター(静岡市葵区相生町)で展示されている。米国立公文書館所蔵のネガを同センターが現像したもので、三菱工場爆撃中の写真が公開されるのは日本で初めて。

写真日本初公開の米軍の空撮写真。中央右に爆撃による煙が見える

 同センターの依頼を受け、米国の原爆投下や空襲の資料を調査している徳山高専(山口県)の工藤洋三教授(土木建築工学)が昨秋、探し当てた。写真は2回目の爆撃のときに、爆撃直前から直後までを撮った3枚の連続写真だ。工場の位置だけでなく、周辺の街並みや区画まで鮮明に写った生々しい写真だ。

 1回目の爆撃は、45年4月4日未明に起き、米軍は工場を狙ったと見られるが、目標を外したため、市民約200人が亡くなった。米軍は同月12日昼に、改めて三菱工場を攻撃し、工場や大型旋盤などの機械をほぼ全滅させた。このときは、名古屋での空襲を聞いていた工場関係者らが、警報を聞いてすぐに山中に逃げるよう指示したため、人的被害はほとんどなかったという。

 当時旧静岡市立第一中学校(現静岡市立高校)5年生で、三菱工場に勤労動員されていた手塚昭次さん(80)は、「こんなに鮮明に上空からみられていたのか……」と言って写真をみつめた。「名古屋はかなりやられた」「防空壕(ぼうくうごう)はあてにならない」……。そんな話を耳にしていたが、若さゆえか、戦争という「環境」への慣れからか、空襲警報を怖いと思ったことはなかったという。「今は(戦争を)歴史のひとこまとしてとらえている。感情だけで引きずっていては前に進めない」と手塚さんは話す。一方で、語り継ぐことの難しさも感じる。「真に悲惨な体験をした『当事者』はなかなか話したがらない。世代間の考えにもずれがあり、なかなか『本当のこと』が伝わらない」

 9月23日までの毎週金・土・日曜日、午前10時〜午後4時半。問い合わせは同センター(054・247・9641)へ。

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