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モンゴル文字で「鶴の恩返し」 近く完成へ

2007年05月08日

 チンギス・ハーン時代から続く伝統のモンゴル文字を守ろうと、栃木県宇都宮市の市民グループが、日本の民話「鶴の恩返し」の翻訳に取り組んでいる。縦書きのモンゴル文字は1940年ごろ、横書きのキリル文字に取って代わられた。「民族伝統の文字や文化を大切にしたい」と翻訳に携わったのは留学生ら約20人。6月初め、モンゴル文字、キリル文字、そして日本語の3種類でつづられた冊子が、モンゴル駐日大使に手渡される予定だ。

写真校正作業中の絵本「鶴の恩返し」。手前がモンゴル文字

 昨年8月、小泉前首相とモンゴルのエンフボルド首相との会談で、「鶴の恩返し」がモンゴルの教科書に掲載されることが決まった。これを知り、15年前からモンゴル文字と日本語による絵本を作っている市民グループ「いっくら国際文化交流会」は、キリル文字も加えた「世界で一つしかない絵本」の製作を始めた。モンゴル駐日大使館の協力も得て、何度も何度も校閲を繰り返し、もうすぐ完成する。

 「モンゴル文字とキリル文字、どっちで書けばいいの?」

 いっくら代表の長門芳子さん(70)は92年、モンゴル人留学生にサインを頼んだ際、困惑した表情でこう聞き返された。初めてモンゴルの「文字事情」を知り、これが翻訳や絵本作成のきっかけになった。

 外務省などによると、モンゴル文字は20世紀前半、旧ソ連の影響を受ける政権が発足したことに伴って廃止され、以来、公用語はロシア式アルファベットのキリル文字になった。90年代初めの民主化でモンゴル文字復活の動きは起きたが、一時的なものだったという。長門さんが、サインに戸惑う留学生と出会った92年は、ちょうどモンゴル文字の復活が始まった頃だった。

 その留学生が自分の名前を記したモンゴル文字は、流れるような書体だった。

 「こんなに美しい文字が否定されたなんて。戦後の日本でも仮名や漢字は残ったのに……」

 長門さんは文字の復興に一役買いたいと、モンゴル文字と日本語で県内の民話「殺生石」の絵本作りに取りかかった。その後も、帰国した留学生らの協力を得て、「桃太郎」や栃木県に伝わる民話、モンゴルの民話「賢い男の子」「象とネズミ」などを、10年がかりで5冊にまとめた。約5000部をモンゴルの大学などにも寄贈した。

 翻訳作業は互いの文化を知る場だったという。長門さんが「言葉は頭で考えるもの」と訳すと、留学生は心臓を指して「胸で考える」と言って譲らない。「葉がさやさやと鳴る」「戸をトントンたたく」など、擬音語の使い方ひとつを取っても意見は異なった。「何度も話し合って仕上げた絵本は両国の友好の証し」だという。

 長門さんは言う。「恩返しの話だからと言って、恩返しを期待しているわけではない。見返りではなく行動する情熱が大切。文化を思う心に国籍は関係ないじゃない」

 駐日大使は6月9日、県青年会館(宇都宮市駒生1丁目)で開かれる同会創立25周年式典に出席予定だ。そこで絵本が贈呈される。

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