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交通事故多発地帯を疾走 風間さん、一路クルガンへ

2007年07月11日

 ◆7月6日 金曜日

写真真っすぐの道をぶっ飛ばす。スピード制限なし
写真日本の水ギョーザに似たペルミニ
写真豊かな国と言われているグルジョアの代表的な料理サリャンカ
写真ロシアの料理として最も有名なボルシチ
写真クレープにサーモンを巻いたブリヌイ
写真イルテッシュ川のほとりを歩くオムクスの市民
写真さすがにクルガンの近く、道ばたをイリザロフを装着したお婆さんが歩いていた

 午前5時の夜明け。気温は朝から19度である。ここのところ日中の気温は27度前後にまで上がり、昨日からアンダーウエアーを脱いだ。シベリアでもこんなに暑くなるのか? と驚いてしまう。

 今日も穏やかな晴天のもと、良いコンディションの舗装道路を西へひた走る。日増しに増える交通量の中、昨日も今日も起きたばかりの交通事故を目撃した。多分、単調な一本道なので居眠り運転か無理な追い越しをしてのハプニングだろう。

 道路脇のカフェも田舎とは違って客が多いから、オーダーも前金もなくトレーに好きなものを取ってから最後にレジで計算する後払い制。たったそれだけのことだが、ずいぶんと便利になった気分がする。僕も竹中医師もお気に入りは「ペルミニ」と呼ばれるロシア風水ギョーザだ。日本のギョーザの三分の一ほどの大きさで、具は豚肉やキノコなどが多く、スープは塩味のゆで汁。この上に白いサワークリームがサッとかけられていて、疲れた体に程良い腹ごたえと塩味のスープの気分が日本人にはたまらない。料金は僅(わず)かに35〜75ルーブル(175〜375円)程度だが、そのギョーザの皮の巻き方、スープの味、もしかしてジンギスハーンがここまでやってきて置いていったものではないだろうか? と、想像したりする。

 ついでに、この旅で毎日食べているロシア料理の「定番」メニューを紹介しよう!

 まずは「ボルシチ」だ。ビーツ(赤カブ)の赤いスープの中に豚肉、牛肉、ジャガイモなどがふんだんに入って栄養価も高く飲みやすい。日本では牛の角切りなどの入った煮込みシチューのことを同名で呼んでいるが、これとはかなりイメージが違う。

 サリャンカ=グルジョア共和国のスープ。トマトを煮込み。野菜とハム、ベーコンなどを加えた赤いスープ。僕はボルシチよりこちらのスープの方が好みに合っている。

 ブリヌイ=昔のロシア皇帝が好んだことから一般に普及したという「クレープ」料理。一般的にはミルクや蜂蜜などをつけて食すが、魚や鶏肉などを挟んで食べるメニューもある。

と、こんなところだ。しかし、いくらうまくても毎日だとみそ汁の味が恋しくなってくる。

 本日の走行360キロ。午後3時の気温30℃。にわかにかき曇った空模様のクイブイシェフの町に着いた途端雷が鳴り響き、氷が降りだして土砂降りの雨になった。危機一髪でホテルに着いた。

 ◆7月7日 土曜日

 日本では七夕。同じ北半球で日本とはそれほど離れてはいないのに、ここのところロシアでは夜空など見る機会もない。なぜなら、夜の11時ごろになってようやく辺りは暗くなり、星空が覗(のぞ)けるのは夜中の12時を回ってからになるからだ。そして、夜明けは午前5時ごろ。緯度が高いために夜が短い。

 さて、昨夜泊まった同ホテルにノボシビルスクの市長さんが泊まったというので、ホテルの玄関前には黒塗りのピカピカのトヨタ乗用車(この町で一番光っている車ではないだろうか?)と警察官がいっぱいいた。その警察官らに見送られてホテルを出発する。国道51号をオムクス方面へ。例によって一直線の素晴らしくいい道、左右の流れる風景は白樺(しらかば)林と草原、そして広大な麦畑だ。時速100〜120キロ、たまに130キロ、瞬間的に140キロのことも。あまりの美しさに、単調な道も飽きることはない。昼飯のドライブイン。サリャンカと豚肉とコーヒーを頼んだが、1時間たっても豚肉が出てこない。隣のロシア人もオーダーした品物が出てこないらしく文句を言っている。給仕の娘の方も客なんかに「体は一つなんだから仕方ないでしょ!」と、負けていない。どこの国でも同じ光景である。こちらも豚はあきらめてバックにしまい込んであるビタミン剤チョコラBBを2粒口に放り込んで店を出た。

 ◆7月8日 日曜日

 目の前の広々としたイルティッシュの川。今旅で一番快適だった気がする「ROST HOTEL」を後にする。昨夜遅くまでホテルのバーで、ワイワイと女ばかりが何グループも、着飾った衣装でたばこを吹かしながら飲んでいた現代ロシアの女性の姿を思いおこし「あれは一体なんだろう? 男はどこに行ったんだ? だんなは家で留守番なのだろうか? 自由と解放感に浸るロシアもまたウーマンパワーのさく裂?」と、そんなことを考えながら、ハンドルを昨日までのM51号からP402号に乗り換えて、「運動器の10年・ユーラシア横断隊」の最初の目的地であるクルガン方面へと向かう。

 途中、朝と昼過ぎに2カ所で大きな事故を見た。一つ目は大型トレーラーの横倒し、二つ目は大型キャリアカーが湿地帯に頭から突っ込んでいる姿。どちらの事故も居眠りか、無理な追い越しをしてくる対向車を避けきれずに起きたものと想像した。ともかくロシアの運転は荒っぽい。前に車がいればちゅうちょなく反射的に追い越しをかけてくる。いつでもどこでも車間が空いていれば入ってくる。おまけに、ほとんどの道にスピード制限がないから、事故も頻繁に起きる。おそらく交通事故の発生件数は、世界でもトップクラスだろう。それを反映するかのように、沿道の草むらには随所に花のリースを手向けた記念碑が立っている。「あんな風になったらおしまいだぞ!」。見るたびに自分を戒めた。

 さて、田舎の国道はかつてのソフホーズ(国営農場)/コルホーズ(集団農場)の名残を受けて、大規模農場の麦畑と白樺の林が交互に延々と続く。

 道が小さな村にさしかかった時だった。ふと見ると、おばあさんが見覚えのあるイリザロフ(創外固定)を足につけて歩いている。あの歩き方と体のゆれ方、自分にもよく身に覚えのある少し外足のゆっくりとした足取り。

 おばあさんにどうしたかと尋ねてみると「足を折ったんだよ。これをつけていればすぐにまた治るよ」と、恥ずかしそうに苦笑いした。

 さすがにここはイリザロフ法の大本山「クルガン・イリザロフセンター」のおひざ元である。このような片田舎の牛追いのおばあさんまでが、世界の最先端をいく外傷医療の恩恵を受けている。医療は世界のどこであっても高度で信頼の出来るもの(システムと技術力)が欲しいのである。

 走行360キロ。午後4時。日本より時差はまた1時間増えて合計3時間の遅れとなったイシムの町に着く。クルガンはいよいよ明日だ。

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 風間さんのコラムはアサヒ・コムの「愛車ページ」でもお読みいただけます。

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