「朝ラー」大入り 喜多方2007年09月09日 米沢のお隣、ラーメンで有名な福島県喜多方市で「朝ラー」なるものが注目されている。朝からラーメンを食べる習慣で、地元の人には「当たり前のこと」。週末には朝ラー目当てに山形はもちろん首都圏からも訪れる人がいるらしい。1世帯当たりのラーメン年間支出額日本一の山形市民としては、気になる話だ。朝ラーとはどんなものか。喜多方へ向かった。
◆出勤前に一杯 週4の猛者も お盆明けの週末、午前6時40分。米沢市から国道121号を通って喜多方に着いた。市役所近くの「まこと食堂」は7時半開店なので、さすがにまだ客はいない。仕込みに忙しい店内から、とんこつと煮干しだしの香りが漂うが、低血圧の私は食欲がわいてこない。 店の前をうろうろしていると、山形ナンバーのバイクが1台やってきた。ヘルメットを脱いだのは、午前5時に河北町を出発してきたという布川浩之さん(47)。9月に福島県で開かれる全国のバイク愛好家が集まる合宿で、朝ラー体験を企画。その下見にきたという。 胃のあたりをおさえながら「まこと食堂は、何度か食べたことあって、おいしかったけど朝はもたれる。やっぱり食べられないな……」と、ここまで来たのに乗り気じゃない。「せっかくだから」と誘っていると、開店時間より早く午前7時前に店が開いた。 テーブル席はあっという間に埋まった。注文を聞かれない地元常連客もいた。私たちは「中華そば」を注文。時計の針はまだ8時前、太陽も昇りきっていないのにまるで昼時のような風景に何だか落ち着かない。 20分ほどでラーメンが運ばれてきた。透き通ったしょうゆベースのスープにチャーシュー、メンマ、ネギ。あれ? 意外にスルスルと胃に入る。布川さんは10分もかからずに平らげた。「さっぱりしていて食べられますね。おいしい」 布川さんの丼の内側に「大当り」の文字が。おばちゃんは「もう1杯食べるかい?」。冗談を飛ばしながら、景品の土産用ラーメンセットを持ってきてくれた。荷物を入れるバッグがないからと布川さんにラーメンセットを譲ってもらった。一応、遠慮しつつも「ラッキー!」。 布川さんと別れ、2軒目の「坂内食堂」を視察した。こちらも店内はほぼ満席。駐車場はいっぱいで県外ナンバーもある。近くの市役所駐車場に庄内ナンバーを発見。ネギチャーシューを食べて帰るところという男性(48)は、昨年秋から米沢市で単身赴任中。月1回ペースで「坂内」か「まこと」で朝ラーだそうだ。 「両方とも昼間は観光客で行列。並びたくないから朝来ている」。92年に国道121号大峠道路が開通し、米沢と喜多方は車で45分ほどの距離に近づいた。男性は20年前、福島県郡山市で勤務していたときも、はるばる朝ラーに通っていたそうだ。 地元の人はさらに「ヘビー朝ラー」だ。「あべ食堂」で会った松崎明さん(55)は、週4日ペースの自称「朝ラー症候群」。平日に喜多方で朝ラー後、出勤する米沢市在住の男性2人組に出会ったことがあるという。 再び、まこと食堂に戻ると、山形ナンバーの乗用車が駐車場から出てきた。後部席には子どもが乗っている。家族連れだろうか。話を聞こうと追いかけたが、一歩遅かった。 昼時、「あべ」や「坂内」には50〜60人の行列ができていた。宮崎、湘南、静岡、神戸――。駐車場や道路脇には、全国各地の車が止まっていた。市役所の駐車場も、県外ナンバーで満車だった。 ■なぜ朝から?起源に諸説 人口約5万5000人の喜多方市には、とにかくラーメン店が多い。朝から営業する店は数軒。朝ラーの起源は諸説あるが、60年代には始まっていたようだ。 まこと食堂の3代目、佐藤一弥さん(60)は「物心ついてから、当然朝からやってると思ってたね」。市内には戦前からアルミの工場があり、3交代制で稼働している。「夜勤明けの工員に『ラーメン食べさせて』なんて言われて始まったんじゃねえか」 戦後、街中から遊郭が消え、映画館もなくなった。夜の売り上げが減り、朝の営業が始まったという説、農家が早朝の農作業を終えた後、ラーメンを食べ始めたなど諸説ある。今も、田んぼまで出前してもらうほか、あぜでラーメンを作る農家もあるという。 喜多方市では早朝野球やソフトボールが盛んで、朝から汗を流した後に熱いラーメンをすする人も多い。会社員の山口久人さん(53)もその1人。平日でも午前5時半から試合をして、朝ラー後に出勤する。ユニホーム姿でやって来て「驚くことじゃねえよ」と、額に汗を浮かべながら食べていた。 喜多方市はラーメンと蔵巡りを組み合わせた観光に力を入れる。最近は太極拳もブームで、市は早朝の太極拳とその後の朝ラーを合わせて宣伝している。 あなたの口コミ募集中!
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