しなの鉄道の車内は、「家族のような空間」2007年10月05日 青春の音。春原広生(すのはら・ひろお)さん(21)=上田市生田=はしなの鉄道に乗ると、いつもそう思う。車窓からは山も川も花も見えない。でも、同じぐらいの年の子が話す声や、「上田」「坂城」「屋代」など駅名のアナウンスが聞こえる。「車両は赤色と教えてもらったから、バラのようにきれいなのかな」
春原さんはしなの鉄道ができる1年前、目が見えなくなった。96年12月23日。小学5年生だった春原さんは、父の勝行さん(55)と近くの温泉にいた。背中の洗いっこが楽しみで、自転車や竹馬で遊んだことなどをいっぱい話した。 ところが、湯上がりの脱衣場で突然、自分の服を入れたところがわからなくなった。翌日のクリスマスイブ。総合病院に入院し、脳腫瘍(しゅよう)の一種と診断された。10カ月ほど治療したが、光は戻らなかった。 98年、長野市にある県長野盲学校に入学。点字の授業や、歩く訓練を始めた。寮生活で、家に帰るのは週末。当初は母の佳子さん(50)が車で送り迎えをしたが「いつかは一人で通わなくてはいけないと思っていた」。中学部3年のとき、電車通学を決心した。 ◇ 「本当はいろんな人と知り合いたい。でも、街で声を掛けてくれる人は少ない」。そう言う春原さんにとって、しなの鉄道の中は「家族のような空間だった」という。 月曜の朝、6時34分に自宅に近い大屋駅を出て、7時24分に長野駅に着く。金曜の夕方は、16時39分に長野を出て、17時28分に大屋へ。駅の段差でつまずいて転び、「なんでおれだけが」と手で顔を隠しながら涙を流したこともある。 ただ、持ち前の明るさで車内でおしゃべりをする仲間もできた。 上田市から長野市に通勤する大森むつみさん(58)もそのひとり。「ひろくんと出会ってから、目が不自由な方に壁を作って接してはいけないと思うようになった。優しい笑顔に気持ちをほぐされた」と言う。 大屋駅の券売機のボタンの下には、行き先を示す点字のシールが張られている。一時、シールが無くなった。 その時、通勤仲間の桜井恵子さん(60)=上田市=が「おばちゃんがお願いしてみる」と、春原さんが困っていることを駅に伝えてくれた。しな鉄も「誰にでもやさしい駅づくりに努めたい」と応じた。 父の勝行さんは駅の階段をちゃんと上がれるか、そっと息子を見に行ったこともある。「けっこう手を貸してくれる人がいる。世の中捨てたもんじゃないと安心しました」という。 ◇ 視力がなくなるまで数えるほどしか乗った記憶がなく、沿線の風景はまったくわからない。 でも音を聞いて、自分なりの風景を心につくっている。勝行さんとよく行った温泉のある戸倉駅。幼なじみの女の子たちに声をかけられ、胸がときめいた大屋駅……。 春原さんはいま、上田市内の授産施設で働いている。夢は、もう一度電車で通い、あんまマッサージ指圧師の資格を取ることだ。 しなの鉄道も10年。春原さんの楽しみも悲しみも乗せた。「心の中の各駅の風景もまだ未完成。しな鉄はゆっくりでいい。走り続けていてほしい」 PR情報この記事の関連情報コミミ口コミ
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