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秋田の荒川鉱山、展示を再開 観光用坑道崩落から2年

2008年04月13日

 江戸時代に発見され、約240年にわたり隆盛を誇った大仙市協和の荒川鉱山について、同市は4日、2年ぶりに資料の展示を始めた。観光施設に利用していた坑道が崩落し閉鎖したままだったが、近くの市交流促進施設「大盛館」を改装して記念室を設けた。全国有数の銅山として栄えた当時の品々約390点を並べ、日本経済を支えた鉱山の暮らしを浮かび上がらせている。

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完成した荒川鉱山記念室には、当時の貴重な資料が並んでいる=大仙市協和

 荒川鉱山は、元禄13(1700)年に発見され、昭和15(1940)年まで栄えた。坑道の総延長は53キロにも達し、明治末期から大正時代にかけて、2千人以上が働いていた。秋田市よりも早い明治31年には電気が通り、村役場や劇場、病院もあった。周辺人口も含めると七、八千人はいたとされる。明治11年には鉱山所有者が大盛小学校を建て、800人を超す児童が通ったという。

 生産量が減り、閉山後は放置されていたが、93年に、当時の協和町が坑道を観光施設「マインロード荒川」として整備し、資料などを展示してきた。しかし06年6月、自然崩落で坑道の一部が埋没。以来閉鎖されたままだった。

 大仙市は安全性確保は困難と判断、大盛館への移設を決めた。今も校舎が残る旧大盛小の敷地に大盛館があり、歴史資料などを展示してきたのを衣替えして受け入れた。

 資料は鉱石類や掘削道具などのほか、明治時代に全国的に活躍した仙北市出身の平福穂庵が描いた鉱山全体図の写しや、山神社に奉納した「桃太郎」の板絵など、書画作品も多数ある。当時は絵を宣伝に使っており、平福はお抱え絵師だったという。

 労働者が給料の前借りをして夜逃げをするという例も多く、それらを防ぐために保証人をつけての就職願いの「願書」や、借金の申し込みの「証書」なども並ぶ。

 第一国立銀行頭取だった渋沢栄一が訪ね、鉱山風景を詠んだ七言絶句の掛け軸もある。

 同館には、宮本百合子や小林多喜二らとともに活躍した、地元出身のプロレタリア作家・松田解子の文学記念室も併設。木下順二や佐多稲子らの書簡類などが展示されている。月曜休館。無料。問い合わせは同館(018・881・8035)へ。

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