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〈巡り合って・上〉 恩師追い「学区」越えた

2006年07月16日

 福井市の中心部にある羽水高校。同校野球部には、十数キロ離れた越前市の旧今立町地域から、電車や自転車を乗り継ぎ約1時間かけて通学している部員が5人いる。

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南越中出身の5選手。左から柳瀬和紀、嶋田泰祐、福岡武志、田畑徹也、見延精昭=福井市羽水1丁目の羽水高グラウンドで

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羽水の川村忠義監督

 南越中出身の3年生、嶋田泰祐、福岡武志、田畑徹也、見延精昭、柳瀬和紀だ。

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 現在、羽水高野球部の川村忠義監督(32)は、3年前まで南越中で勤務していた。00年に着任し、同中でも野球部を指導。少年野球が盛んな地域で、地元の4小学校からは有望な選手が次々に入学してきた。01年夏には県大会で優勝するなど、充実した毎日を送っていた。

 03年の春、突然、羽水高校へ転勤が決まった。1年時から指導してきた選手たちが成長しつつあり、集大成の年だった。早朝のグラウンドで選手たちに異動を告げた。うなだれる者、涙を見せる者もいた。

 「おまえらはラッキーや。中学を卒業しても高校でおれと一緒に野球ができるかも知れん」

 選手たちを何とかして励まそうとして出た言葉だったが、その時はそれが本当になるとは思いもしなかった。

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 川村は南越中を含めた6年間の中学時代を「新しい野球と出会い、子どもらが自分を育ててくれた」と振り返る。

 川村はいわば野球の「エリートコース」を歩んできた。福井商では2年で春の選抜大会に出場。進学した日体大では1年からレギュラーを獲得し、全日本大学野球選手権大会ではベスト4に入った。そんな川村が、越前市内の中学に赴任したのは97年春。過去の野球経験ではありえない状況があった。

 スパイクのかかとを踏みシャツを出して練習に現れた部員がいた。怒鳴り散らすと、部員は翌日、半分に減った。キャリアだけでは部員はついてこない。日ごとに減り続ける部員たちを、たまらず呼び出した。

 「おれはやるからには日本一になりたいんだ」。自分の正直な気持ちを伝えた。部員の1人が言った。「僕たちも勝ちたい。でも先生は厳しすぎる」

 川村が今でも指導のキーワードとして挙げる「会話」は、ここから始まった。自分の考えを押しつけず、部員の目線に立ち、選手との会話の中から最適な練習方法を探し出す。川村の技術に加え、会話を重視した指導は徐々に部員の心をつかんでいった。

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 川村を慕い、多くの部員が当初、羽水の受験を希望した。同学年の部員十数人のうち、通学時間など様々な理由から、最終的には嶋田、福岡、田畑、見延、柳瀬の5人が羽水受験を決めた。旧第3学区(越前市など)から、旧第1学区(福井市など)への「学区越え受験」だった。通学に約1時間もかかる羽水について「最初は読み方さえ知らなかった」と、エースの嶋田は振り返る。

 高校進学にあたり、柳瀬は中学校で「野球のためにそこまでする必要はない。地元の高校に進んでは」と説得された。今は羽水の野球部父母の会会長を務める父親の享一(49)も「これからは勉強を中心に…」と語りかけた。だが、「今度は3年間、(川村に)指導してもらいたい」という柳瀬の気持ちが揺らぐことは決してなかった。

 5人は全員合格し04年春に羽水に進学した。同校は昨秋と今春の県大会でいずれもベスト4に入る県内有数の強豪校となっている。

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 04年夏の福井大会。福岡は1年生ながら遊撃手のレギュラーを獲得した。だが、開幕日の7月18日、福井を豪雨が襲い開会式は中止となった。

 福岡と、今春の県大会以降レギュラーに定着した田畑の自宅は、大きな被害を受けた旧今立町内の粟田部地区にあった。地域の大人たちや田畑と一日中見回りをした。小さな川からあふれ出す濁流。水没する道路。田畑とともに、床上浸水した住宅から2人の子どもの手を引き、近くの小学校まで避難させた。

 翌19日、羽水のグラウンドで練習に臨んだ。気合が入らない。「地元は復旧作業で大変なのに、自分は野球をしてていいのか」という思いが心の奥底にあった。心身ともに疲れ切った福岡の動きは鈍く、守備練習でミスを連発した。

 その時、中学時代に川村から受けた最後の守備練習が頭をよぎった。川村が数メートル離れた位置から左右に投げるボールに飛びつく。100球余り続いた。「吐きそうだった」という、これまでで最もきつい練習だった。終盤は起きあがれないほどだったが、川村と取り組む最後の練習だ、と何度も思い直し、頑張り抜いたことが大きな支えになっていた。

 「あの時のように自信を取り戻したい」。大事な試合を前に、福岡は川村に100球余りのノックを志願した。指導を受けるのはこれが最後と思った川村と、再び練習ができていることを改めて実感した。「これならやれるよ」。川村は福岡のつらい状況を察しながら声をかけ続けた。翌日の1回戦で福岡は軽快な守備を見せ、安打を放ちチームの勝利に貢献した。

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 副主将の見延の野球ノートの表紙には「自考自工自野自創」の8文字がある。中学に入学して間もないころ、自身の造語というこの言葉を使って川村は「自分はアドバイザーにしかなれない。自分自身が常に考えて野球をやってほしい」と話した。

 羽水入学後も常に意識してきた言葉だ。見延は昨冬から、川村と会話を繰り返しながら打撃の改善に取り組んできた。「2年間余分にやっているだけ、川村監督の目指す野球はわかっているつもり。チャンスが来たら絶対打ちたい」

 川村から指導を受けた中学時代も含め、5人は「5年目の夏」に甲子園を目指す。

  ◎  ◎  ◎ 

 第88回全国高校野球選手権福井大会が21日に開幕する。野球を通じて巡り合い、悩みや葛藤(かっとう)を抱えながら乗り越え、この夏の勝利を目指す選手や指導者たちの姿を追った。(敬称略)

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