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「夏」14度目の足跡は 〈挑め日大山形〉

2006年08月05日

 夏の甲子園の歴史をひもとくと、日大山形が県の高校球界を引っ張ってきたのが分かる。県勢としての初勝利も、初めて3回戦に進んだのも、日大山形だ。93年には悲願の「8強」に手をかけたかに思われた。第88回全国高校野球選手権大会。日大山形14度目の挑戦は、7日の開星(島根)戦から始まる。初戦を前に、夢の舞台を駆けた日大山形の足跡をたどってみた。

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鹿児島実―日大山形 8回裏日大山形2死、一塁走者斎藤が平吹の左中間二塁打で生還し、勝ち越し点を挙げる=73年8月8日、阪神甲子園球場

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日大山形―春日部共栄 10回裏春日部共栄2死二塁、中前安打で二塁走者が生還し、サヨナラ勝ちに喜ぶ春日部共栄の選手たち。捕手鷹島=93年8月18日、阪神甲子園球場

◆63年 初出場、首里と接戦惜敗

 日大山形が全国選手権大会に初めて出たのは63年夏。初戦は返還前の沖縄代表、首里だった。

 「沖縄独特のリズムで指笛が鳴る中、観客のほとんどが首里を応援していた」。日大山形の捕手だった渋谷邦弥さん(61)は、球場の様子を鮮明に覚えている。

 山形、沖縄両代表ともそれまで夏の大会で勝ったことがなかった。

 試合はシーソーゲーム。7回に首里が逆転すると、「在阪の沖縄県人会も加わっていた首里の応援団からは、1球ごとに球場が揺れるような歓声がわいた」

 3―4。沖縄勢の初勝利にスタンドは総立ち。「直後は悔しさも涙もなかった」と渋谷さん。

 あれから43年たった今でも、実力では勝っていたとの思いがある。「どうして勝てなかったんだろうって、時がたつにつれて悔しくなってきた」と笑う。

 渋谷さんは後輩たちにいう。

 「一つの好プレー、失策で流れががらりと変わる。甲子園は何が起こるかわからない。最後まで気持ちを引き締めて戦ってほしい」

◆73年 鹿実戦で県勢初勝利

 日大山形の初勝利は73年。鹿児島実を2―1で破った。それまで初戦で13連敗していた県勢が、初めてつかんだ歴史的な夏の1勝だった。

 三塁手として出場していた前田稔さん(50)は、その喜びをよく覚えている。「決勝打を放った平吹は変化球に強くてね。カーブをうまく打ち返して二塁打にした」

 日大は7回、三塁強襲の安打で追いつかれる。「私が球を前にはじいた間に三塁走者が生還して同点。記録は安打でも、自分では失策と思っていた」。それだけに8回のチームメイトの勝ち越し打がうれしかった。

 大観衆で埋まるスタンド。当時の渋谷良弥監督は「グラウンドから見える広告を一つ覚えてこい」と言って、選手たちの緊張を和らげようとしたという。

 前田さんは「練習通りのプレーをしようと思ってもできないのが甲子園。後輩には平常心で臨んでほしい」。

 日大山形は63年の第45回、68年の第50回、73年の第55回と記念大会によく出場してきた。他県との2次予選がなく、山形大会で優勝すれば、甲子園に行けるようになったのは76年からだが、その初代の優勝校も日大山形だった。

 76年、日大山形が初戦で敗れた桜美林(東京)は、全国制覇している。

◆93年 ベスト8かけ春日部共栄戦 10回サヨナラ負け

 県勢として初めて夏の甲子園で2連勝し、3回戦まで進んだのも79年の日大山形だった。92年にも3回戦に進む。そして8強に最も手が届きそうだったのが翌93年だ。

 3回戦で春日部共栄(埼玉)とぶつかった日大山形は、延長10回、2―3でサヨナラ負けを喫する。その年、春日部共栄は準優勝した。

 93年の日大山形は速球派のエース長岡と、制球力が持ち味の左腕、菅の二枚看板だった。山形大会決勝は山形中央に20―1。これは今も決勝の最多得点差試合だ。

 甲子園の初戦、大分工戦で先発した星野(旧姓菅)崇士さん(30)は、夏になるとサヨナラの場面を思い出す。

 背番号1を競い合ったエース長岡を「頑張れ」とベンチから励まし続けた。10回2死二塁。相手打者のつまった当たりが中前に落ち、試合は終わった。「何が何だかわからず、ぼうぜんとしていた」と星野さん。

 甲子園初戦のマウンド、星野さんはストライクが入ってから落ち着いたという。「まず初戦が大事。そして日大山形には、県勢初の夏の8強になってほしい」

◆98年 星稜戦でも先制打 広島・栗原も輩出

 多くの名選手を送り出してきた日大山形だが、いま一番活躍しているプロ野球選手といえば、広島の栗原健太(24)だ。7月のセ・リーグ月間MVPにも選ばれた。

 山形テレビの野球解説者、阿部浩悦さんは「高校時代から、その長打力は目を引いた」という。

 栗原は97年、日大山形に入ると1年の秋から4番に定着。98年夏の甲子園に出場し、初戦の星稜(石川)戦で先制打を放ったが1―10で敗れた。

 「プロに入り、努力の成果が、年々大きくなる体つきに表れていた」と阿部さん。高校3年の夏は酒田南に敗れ、甲子園には出られなかったが、「山形の球児に夢を与える選手になっている」という。

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