高校野球の総合情報サイト

ここから本文エリア

第93回全国高校野球選手権大会

地方ニュース

〈愛知:マネジメント・もしドラの時代の挑戦(6完)至学館〉「先輩の分も」思い一つ

2011年7月6日11時3分

印刷印刷用画面を開く

Check

このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

写真:練習後に座禅を組む選手。麻王健之郎(中央)も「無心」になって心身を整える拡大練習後に座禅を組む選手。麻王健之郎(中央)も「無心」になって心身を整える

写真:3年間毎日つづった健之郎の「野球ノート」。背表紙に故・桐林史樹さんの背番号とイニシャルを記した拡大3年間毎日つづった健之郎の「野球ノート」。背表紙に故・桐林史樹さんの背番号とイニシャルを記した

図:  拡大  

 悲しみは突然、チームを襲った。2月15日夕。東名高速下り線でトラックによる衝突事故に巻き込まれ、至学館の昨夏のエース桐林史樹さん(当時18)が亡くなった。

 その日は投手、麻王健之郎(3年)が右肩を痛めて選手生命を絶たれ、マネジャー兼コーチに転向した日でもある。

 翌日の「野球ノート」には、こんな言葉が書いてある。

 自分はマネジャーだが、桐林さんのぶんも精一杯(せいいっぱい)生きて、精一杯やって甲子園に行きたい

   ◎    ◎   

 「何で自分だけ」。健之郎はずっと怒っていた。父親である麻王義之監督(47)と一緒に野球をやりたくて、至学館に入学。1年目から選手としてベンチ入りしてきたのに、2年の春ごろから肩のしびれに悩まされるようになった。

 完治は難しいと診断された。さらに、心ない言葉が追い打ちをかけた。「おまえは監督の息子。治れば試合に出してもらえるんだろう」。苦しくて、自分から仲間を遠ざけた。

 冬を迎え、周囲に「やめたい」と漏らしたとき、三塁手の鈴木敬介(3年)がメールをくれた。「おまえがいるから頑張れる」。左目に打球を受け、4カ所の骨折を負い、同じように苦しい経験をしていた。

 主将の岡大樹(3年)も健之郎を気にかけた。2人で下校する機会をうかがい、地下鉄で「1人で抱え込んでも次につながらないだろう」と励ました。

   ◎    ◎   

 健之郎も変わったが、チームも変わった。命日から3日後に練習を再開。ミーティングでは「野球をやりたくてもできなかった先輩の分まで、真剣に取り組もう」と確認し合った。

 以後、健之郎のノートには「充実」「感謝」といった言葉が増えていく。

 練習試合でも調子を上げた至学館は、地区予選を勝ち抜き、春の県大会に出場。ピンチの時はみんなでマウンドに集まり、「桐林さんのいる上を見よう」と空を見上げた。チームは2006年の創部以来初めて8強入りし、夏の愛知大会のシード権をつかんだ。

 今夏、健之郎は記録員として、ユニホームではなく制服を着てベンチに入る。

 生きている幸せに感謝 野球ができる喜びに感謝

 ノートの背表紙に書いた言葉と、亡き先輩の背番号、イニシャル。勢いに乗っている今、健之郎も仲間と気持ちを一つにし、初の8強進出を狙う。(敬称略)

(この連載は小若理恵が担当しました)

検索フォーム

このページのトップに戻る