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第93回全国高校野球選手権大会

地方ニュース

〈大分:球縁(2)楊志館〉亡きマネジャー、心の支え

2011年7月4日10時33分

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:練習前に「AKKO’s GARDEN」に一礼する楊志館の野球部員たち=大分市荏隈の練習グラウンド拡大練習前に「AKKO’s GARDEN」に一礼する楊志館の野球部員たち=大分市荏隈の練習グラウンド

:大崎耀子さん=2008年7月、新大分球場拡大大崎耀子さん=2008年7月、新大分球場

 大分市の楊志館練習グラウンドは片隅に小さな花壇がある。「AKKO’s GARDEN」。オレンジ、イエロー、ピンク、色とりどりの花が年中咲いている。

 練習前、花壇の前に部員たちが集まる。野球帽を取って深々と一礼。心のなかでつぶやく。「あっこ先輩見守っていて下さい」

 同校は2007年夏、甲子園に初出場した。だが、マネジャーの大崎耀子(あきこ)は直前にがんが見つかって入院し、甲子園に行けなかった。08年夏、3年の大崎を今年こそ甲子園にと、2年連続の出場を狙ったが、開幕戦で敗れ去った。

 花壇は、思いを遂げられなかった3年生部員が「一緒に卒業しよう」と大崎のため大会後に作った。しかし、願いは届かず、大崎はその秋に17歳で亡くなった。

 花は大崎の両親や寮母さんが季節に合わせて植え替える。夏はヒマワリだ。夏の大会中に、大輪の黄色い花を咲かせる。

 水やりと草抜きはマネジャー後藤百愛(ももえ)(2年)の仕事だ。昨春の入部直後、監督の宮地弘明(39)から2冊のノートを渡された。大崎がつけていた「野球ノート」だった。部員たちのコンディションや天候、練習メニューなどが細かく記され、大崎の真剣さが伝わった。「こんなマネジャーになりたい」と思った。

 大崎の母親からは別のノートをもらった。闘病中の大崎の日記だった。「グラウンドに立ちたい。野球が見たい」。涙があふれた。

 部には後藤以外にマネジャーはいない。一人で45人の部員を支えてきた。「私は本当に役に立っているのかな」。不安から何度もやめようと思った。だがそんな時、携帯のカメラで撮った写真をいつも見返した。大崎の「野球ノート」の言葉を写したものだ。「チームのみんなの夢は私の夢。だから何だって犠牲にできるから。だからがんばろう!」

 この言葉に救われ、1年3カ月を過ごしてきた。最近、少しだけ大崎の思いが分かるようになってきた。「部員が安打を打った時は自分のことのように喜べるようになった」と後藤。

 宮地は「彼女は今、チームの大きな支え。悩んだこともあったようだが、チーム全員から信頼される存在になった」と認める。

 大崎への思いは、選手たちも同じだ。面識はないが、大崎が野球部を支えていたことは先輩から聞かされてきた。練習前の一礼も先輩から引き継いできた。

 内野手の喜村球道(3年)は練習後、「今日もけがなく練習できました。無事に野球ができるのはあっこ先輩のおかげです」と花壇に報告する。主戦の牧捷太朗(2年)もマウンドでピンチを迎えた時、自分に言い聞かせる。「あっこ先輩は野球に一途に向き合った。俺も逃げちゃだめだ」

 1分近くも花壇の前に立ち続ける選手もいる。主将の志賀俊介は「花壇は部員とあっこ先輩が心の中で会話する場所。個人的な悩みを打ち明けて心を落ち着かせる部員は多い」と話す。

 大きな大会の前、部員たちは大崎の実家を訪れ、遺影の前で必勝を誓う。今年も全員で手を合わせる予定だ。大崎の母親は「耀子が選手たちの支えになっていると思うとうれしい。試合中、くじけそうな時に助けになれば」。

 「AKKO’s GARDEN」は後藤を励まし続ける。「あっこ先輩は命をかけて野球部を守った。選手のみんなも恩返しの思いで夏を戦ってほしい」。

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