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第93回全国高校野球選手権大会

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球児亡くなる直前、グラブ間に合った 埼玉の職人手作り

2011年7月21日0時42分

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写真:客の注文に合わせて作ったグラブの出来を確かめる早川さん=朝霞市拡大客の注文に合わせて作ったグラブの出来を確かめる早川さん=朝霞市

写真:権藤君の自宅の祭壇には、早川さんが作ったグラブが飾られている=富士見市拡大権藤君の自宅の祭壇には、早川さんが作ったグラブが飾られている=富士見市

 約50年間、野球のグラブを手作りしてきた早川忠広さん(66)=埼玉県朝霞市=は今年4月、特別な思いを込めたグラブを一つ仕上げた。がんで亡くなった市立川越の権藤光君(2年)の特注グラブだ。復活をあきらめなかった権藤君に、同じ病で逝った幼い弟の姿が重なった。

 早川さんは自宅の「工房」で、ほかの職人とともに革の裁断から組み立て、刺繍(ししゅう)まで手がける。高校を卒業し、大阪で3年間修業したあと、祖父が東京・浅草で始めたグラブ店の3代目を継いだ。仕上がりが硬めで、「長持ちする」とプロ選手にも人気という。

 4月初旬、権藤君の父・誠さん(39)が突然、グラブの特注の相談に訪れた。誠さんは涙を流しながら病状を話した。耳を傾けながら、早川さんは弟の栄君のことを思い浮かべた。

 栄君は小学2年のころ、よく側溝に落ちてずぶぬれで帰ってきた。「なんで落ちるんだろう」。不思議に思ったが、その時、栄君はすでに脳腫瘍(しゅよう)に冒され、視力がほとんどなくなっていた。1957年、亡くなった。10歳だった。

 弟に何もしてあげられなかった無念さがよみがえった。4月15日、誠さんが注文書を持ってきた。「色は黒で」「指カバーをつけてください」。ベッドの上で書いたのか、鉛筆書きの丁寧な文字で細かく希望が連ねてあった。

 その時、たまたま翌日に外泊許可が出たことを知った。「明日までに作ってあげたい」。他の作業をすべて中断し、権藤君のグラブ作りに専念した。

 特注は完成まで3〜4カ月かかるが、6人がかりで1日で仕上げた。型通りに革を切り抜き、厚さを微妙に調整しながら削った。一切、手は抜かなかった。名前を刺繍(ししゅう)して、グラブを組み立て、ひもを通した。黒いグラブに工房のハンドメードを示す金色のロゴが映えた。

 権藤君は16日、病院から外出し、そのまま工房に立ち寄った。早川さんは直接会うのがつらくて仕事に出ていた。権藤君は約2週間後、この世を去った。

 「私にはグラブを作ることしかできない。最後まで握っていてくれたと聞いて、本当にうれしかった。少しでも長く、生きる希望を持ってくれてよかった」。職人の目に涙が浮かんだ。(小俣勇貴)

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