あの夏、5打席連続で敬遠され、1度もバットを振ることなく、星稜・松井秀喜は甲子園の伝説となった。松井のチームメートだった福角元伸が、星稜、明徳義塾の監督や選手、関係者らを取材。24年の時を経て、いまなお議論を巻き起こす一戦を振り返る。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | |
星 稜 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 |
明徳義塾 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | / |
計 | H | E |
2 | 7 | 1 |
3 | 4 | 3 |
山下智茂 監督(47) | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | ||
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[中] | 清水 雄一 | 2年 | 遊ゴ | 遊ゴ | 二ゴ | 左安 | 三ゴ | ||||
[遊] | 林 和成 | 2年 | 三ゴ | 遊失 | 左安 | 三ゴ | 遊ゴ | ||||
[投] | 山口 哲治 | 3年 | 左三 | 左安 | 左飛 | 二ゴ | 左三 | ||||
[三] | 松井 秀喜 | 3年 | 四球 | 四球 | 四球 | 四球 | 四球 | ||||
[二] | 月岩 信成 | 3年 | 三ゴ | 捕犠 | 左飛 | 左飛 | 三ゴ | ||||
[一] | 福角 元伸 | 3年 | 遊ゴ | 三ゴ | 左安 | 二ゴ | |||||
[右] | 奥成 悟 | 3年 | 四球 | 三ゴ | 三振 | 左安 | |||||
[左] | 竹森 建策 | 2年 | 二ゴ | 四球 | 一直 | 二ゴ | |||||
[捕] | 北村 宣能 | 3年 | 三振 | 三振 | 右飛 | ||||||
打 | 松本 哲裕 | 3年 | 二ゴ | ||||||||
捕 | 東 宏幸 | 1年 |
投手 | 山口 哲治 |
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投球回 | 8 |
投球数 | 126 |
打者 | 31 |
被安打 | 4 |
奪三振 | 10 |
四死球 | 3 |
自責点 | 2 |
馬淵史郎 監督(36) | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | ||
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[遊] | 筒井 健一 | 3年 | 三ゴ | 四球 | 三振 | 振逃 | |||||
[二] | 重兼 和之 | 3年 | 三振 | 三振 | 遊ゴ | 投飛 | |||||
[投] | 河野 和洋 | 3年 | 三振 | 中安 | 二ゴ | 左飛 | |||||
[一] | 岡村 憲二 | 3年 | 中安 | 四球 | 右飛 | 三ゴ | |||||
[左] | 加用 貴彦 | 1年 | 四球 | 右安 | 三ゴ | ||||||
[捕] | 青木 貞敏 | 3年 | 一犠 | 三振 | 三振 | ||||||
[三] | 久岡 一茂 | 3年 | 左二 | 投ゴ | 三振 | ||||||
[中] | 橋本 玲 | 3年 | 遊ゴ | 三振 | 三振 | ||||||
[右] | 広畑 国昭 | 3年 | 二ゴ | 三直 | 遊ゴ |
投手 | 河野 和洋 |
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投球回 | 9 |
投球数 | 145 |
打者 | 41 |
被安打 | 7 |
奪三振 | 3 |
四死球 | 7 |
自責点 | 1 |
暑さに、緊張と興奮が重なる。むき出しの両腕に、汗が玉状になって噴き出した。
星稜が2―3で迎えた九回表2死三塁。4番の松井が歩かされた。1年夏から4番に座り、高校通算59本塁打。優勝候補に挙げられたチームの中心だった。これで5打席連続の敬遠。「後続を抑えれば勝てる」。明徳義塾バッテリーのメッセージは明確だった。
五回表1死一塁で敬遠される星稜の松井
「このまま終わってしまうのか。情けない。もう一度チャンスが欲しい。頼む」。6番打者の私は、怒号と悲鳴が飛び交う中、三塁ベンチを出て次打者席へと進んだ。
前を打つ月岩がゆっくりと打席に向かう。2死一、三塁。「絶対に振れ! 初球を狙え!」。チームで唯一、長打を放った山口が、三塁で絶叫していた。
明徳がタイムをとり、マウンドに選手が集まった。輪がとけ、月岩がバットを構える。だが、試合は再開しない。私の後方、左翼方向から「ワー」と歓声があがる。メガホンなど、色々な物がグラウンドに投げ込まれていた。試合が完全に止まった。
それでも、月岩は打席に立ち続けた。私は呼んだ。「タイム。中断だ」。何度目かに、やっと振り向いた。滑り止めのロージンを渡し、「絶対に回せ。つなぐぞ。死球ででも出ろ」。月岩のベルト付近ををたたき、声をかけた。
かすかにうなずいた月岩だが、その唇に色はない。星稜の選手と球場関係者が、投入物を拾いに外野へ走った。約3分。公式には記録されていない中断が、星稜の押せ押せムードに微妙な間を作った。
「哲治(山口)が『初球を打て』と、何度も言ってきた。よし、それなら、と。ただ、中断で全てがかき消された。スタンドの相手へのヤジが、俺へのものに聞こえた。しっかりしないと。打たないと、と思った」。月岩の焦燥が増幅する。
九回表、松井の5打席連続敬遠後、投げ込まれたメガホンなどを片付けに走る選手たち
完投した明徳義塾の河野
一方、マウンドの明徳・河野にとっては、立ち直りのきっかけを作る間になった。
「『5回も敬遠して負けるわけにはいかない』と、心拍数も上がっていた。冷静に自分をコントロールできたかどうか。ひと呼吸置けた。月岩に集中でいいんだなと」
5万5千人の観客が詰めかけ、騒然とする甲子園。一塁にいる松井だけが別世界にいた。1、2度、静かに目を閉じる。「瞑想(めいそう)していた。俺は野球の神様はいると信じている。月岩が打てるような力を送って下さいと祈った」。プレーが再開すると、静から動に移る。初球に盗塁した。
「サインだった。自分が生還すれば、逆転だった」と松井。明徳バッテリーはノーマークで二塁を渡した。「マウンドで円陣を組んだとき、打者に集中という、馬淵監督からの指示を再確認した」。捕手の青木は明かす。
変化球で追い込まれ、カウント2―2からの5球目。外角低めの変化球に、月岩は泳ぎ気味にバットを出した。三ゴロ。一塁にヘッドスライディングをしたまま、しばらく動けなかった。
松井は三塁を回ったところで、両ひざに手をついた。
「ああ、高校野球が終わったなって。星稜高校終了。俺たちの3年間は終わったって。そう思っていたね」
試合中から大会本部や朝日新聞社には、5打席連続敬遠を巡って千本を超える賛否の電話が相次いだ。試合後、急きょ記者会見した大会会長の牧野直隆・日本高校野球連盟会長は「走者がいる時、作戦として敬遠することはあるが、無走者の時には、正面から勝負して欲しかった」と語った。
この日、1度もバットを振ることなく、松井秀喜は伝説になった。
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福角 元伸(ふくずみ・もとのぶ)
金沢市生まれ、41歳。1990年、星稜に入学、91年夏は補欠、92年春、夏は6番・一塁手で甲子園に出場。大産大に進み、阪神大学リーグでは、大体大にいた上原浩治とも対戦した。スポーツ紙を経て、2004年朝日新聞入社。06年からスポーツ部で巨人などプロ野球を担当。09年は大リーグのヤンキース優勝、松井秀喜のワールドシリーズMVPを現地で取材した。 |
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今なお高校野球ファンの意見を二分する、松井秀喜への5連続敬遠。1992年の明徳義塾―星稜を、綿密な取材で振り返ります。
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