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バーチャル高校野球

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松井裕樹、歴史に刻んだ22K 敗れた選手が秘めた思い

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 「きょう、三振多くない?」

 桐光学園(神奈川)の2年生エース松井裕樹(現楽天)が、二塁手の鈴木拓夢から声をかけられたのは、八回の守りを終えた後のベンチの中だった。

 記録員の森亮介に確認すると、その数は「19」。この時点で大会記録に並んでいたが、そのことを左腕は知らない。

 練習試合でも18個が最高だった奪三振。「あと三つ、取ってこいよ」。鈴木と森にそう背中を押されて向かった九回のマウンドで、松井はその通りの投球を見せた。最後は115キロのカーブで22個目。その名を甲子園の歴史に刻んだ。

 2012年8月9日、第94回大会の1回戦。相手は伝統校の今治西(愛媛)だった。

 対戦が決まると、今治西は神奈川大会の映像を見て松井を研究した。5番・遊撃手で先発した中内洸太が振り返る。「準決勝と決勝の映像を見たんですけど、松井君は疲れもあって荒れていた。だから、序盤はボールを見て、その上で対策を決めようとなったんです」

 一方で、松井はこう考えていた。「今治西は試合巧者。球数を多く投げさせようとしてくるんじゃないか。だから、早めに追い込みたかった」

 いざ、試合開始。一回表のマウンドに立った松井に「緊張は全くなかった」。先頭打者を3球三振に仕留める思惑通りの滑り出し。この時、3球続けて投げたのが、今でも本人の代名詞になっているスライダーだ。

 高校入学時点で松井はまだスライダーを投げていなかった。誰に教わったわけでもない。1年生の秋に色々な握りを試すうち、鋭く曲がるようになった。三振を多く奪えるようになったのはそれからだ。

 松井の頭に「奪三振記録」はなかった。一方で、「正直、狙っていた」という記録がある。

 ノーヒットノーランだ。

 五回までに許した走者は四球による2人だけ。あこがれの杉内俊哉(現巨人)が1998年夏の甲子園で達成したのを知っていた。

 が、簡単にはいかない。六回の先頭に四球を与えると、次の打者にもボールが先行。ストライクを取りにいった直球を中前に打たれ、達成ならず。それでも、気持ちを切らさず投げ続けたことが偉業につながった。

 松井は、これまでの記録を一気に「3」も更新した。19奪三振で続くのは82回大会(00年)の坂元弥太郎(浦和学院)、87回大会(05年)の辻内崇伸(大阪桐蔭)ら5人。

 1大会の記録でも松井は4試合で68奪三振。これは40回大会(1958年)の板東英二(徳島商)が記録した83(6試合)、88回大会(2006年)の斎藤佑樹(西東京・早稲田実)が奪った78(7試合)に次ぐ、3番目の数字だ。試合数を考えても、板東や斎藤が延長戦を戦ったことを考えても、松井の数字のすごさが分かる。

 「あっという間に終わった」と中内が振り返る敗戦後、今治西は宿舎でミーティングを行った。中内は大野康哉監督の言葉を、今も胸に秘める。

 「この負けから始めよう。この負けがあったから頑張れたと言えるように生きていけ」

 野手として関学大に進んだが、「投手として勝負したい」と志願。最速146キロを投げるエースに成長し、関西学生リーグで通算18勝を挙げた。

 「あの試合の当事者として、『しょぼく』見られているんだったら、絶対に見返すぞという気持ちはありました。どうやってプラスに変えるか。今ではすごくいい経験だったと思っています」。4月には社会人野球の王子に入社。プロのマウンドを目指し、新たな戦いをスタートさせている。(山口史朗)

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