(2011年2回戦 八幡商5―3帝京)

 4万7千の観衆とともに、八幡商の遠藤和哉は右翼ポール際に目をこらした。「もしかしたら入るんじゃないか。入ってくれ――」。2点を追う九回1死満塁。振り抜いた打球は、高く舞い上がり、浜風を突き抜けた。

 一瞬の静寂の後、白球がスタンドに吸い込まれる。起死回生の満塁本塁打。主役は割れんばかりの大歓声に包まれながらダイヤモンドを回った。三塁に向かうと、目の前には沸き立つアルプススタンド。「あれは絶対、一生に1回しかない光景」。6年経ったいまも脳裏に焼き付いている。

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 2011年夏。第93回大会の2回戦、八幡商―帝京(東東京)。試合前は帝京有利の声が大勢を占めていた。エースの伊藤拓郎(元DeNA)、主将の松本剛(日本ハム)らを擁し、1回戦では花巻東(岩手)の大谷翔平(日本ハム)を攻略しての勝ち上がり。大会の優勝候補に挙げられていた。

 対する八幡商は5年ぶりの出場。山梨学院大付を破り、帝京との対戦が決まった時の心境を遠藤は「さすがに厳しいと思った。せっかく帝京と試合ができるんだから楽しみたい気持ちだった」と振り返る。滋賀代表は東京代表に勝ったことがないというデータもネガティブな要素だった。

 試合は八幡商にとって苦しい展開で進んだ。三回に松本の2点本塁打で先制されると、打線は左腕渡辺隆太郎の前に八回まで2安打に抑えこまれ、二塁さえ踏ませてもらえなかった。それでもエース吉中佑志の好投で何とか3点差に踏みとどまっていた。

 0―3。九回の攻撃前、池川準人監督は円陣で声をかけた。「これだけたくさんの方に応援に来て頂いている。ちょっとはチャンスを作って盛り上げていこうや」

 選手が応え、3連打で1死満塁。そして4番坪田啓希の打席での一つのプレーが明暗を分けることになる。4球目、詰まった打球は遊撃手・松本の前に。併殺でゲームセットか。誰もがそう思った瞬間、名手が打球をはじいた。1点を返し、なお満塁の好機がつながった。

 5番遠藤は、一度は敗北を覚悟しながらも回ってきた打席に不思議な感覚を持っていた。「球場全体が八商を応援してくれている感じがあった。どういう形かはわからなくても自分で決める自信を持っていた」

 池川監督にも予感があった。遠藤は滋賀大会で2本塁打を放ち、打点もチーム最多。最もチャンスに強い打者と評価していた。「彼の様子を見ていると、非常に落ち着いていた。勝負を楽しんでいるというか、やってくれるんじゃないかという雰囲気で見ていた」

 期待は現実となる。フルカウントからの9球目。遠藤は「押し出しが怖いから変化球はないはず。外の真っすぐを待っていた」。狙い通りの外角高めの直球をフルスイング。劇的な逆転弾が生まれた。

 九回裏を無失点に抑え、八幡商は帝京を破った。そして遠藤はヒーローになった。3回戦で作新学院に敗れて地元に戻ると、街中でも、電車の中でも、至る所で声をかけられた。高校を最後に本格的な野球からは離れ、いまは滋賀県内の企業で働く。それでも休日の楽しみの草野球では、たびたび相手チームの選手から声がかかる。「あの試合よかったな」

 遠藤は言う。「やっぱりあの試合、あのホームランが自信になった。何事でも何とかできるんじゃないか、やってみたら意外とできるんじゃないかと思うようになった。自分の人生に影響を与える大切な思い出です」。24歳になった2017年夏、あの1発の価値を改めてかみしめている。(岩佐友)

 〈遠藤和哉 えんどう・かずや〉 1993年生まれ。八幡商3年の夏は外野手。帝京戦、作新学院戦で2試合連続本塁打を放つ。現在は滋賀県内の企業で勤務。

 〈池川準人 いけがわ・はやと〉 1972年生まれ。八幡商で90年夏の甲子園に出場。大経大卒。2001年に母校の監督に就任。楽天の則本昂大らを育てる。