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バーチャル高校野球

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(あの夏)東洋大姫路×東邦1 バンビ15歳、輝きを経て

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 ■1977年・決勝

 きらめきは一瞬だったかもしれない。しかし、その光はマグネシウムが燃焼した時のようなまばゆさだった。40年前の夏、坂本佳一(よしかず)は、「TOHO」を胸につけた真っ白なユニホームでマウンドに立っていた。対する東洋大姫路は縁起を担いで洗濯無用。「TOYO」のマークは汗と土にまみれていた。

 「40年前を振り返ってくれと言われても実感がないんです。その場にいたとか、投げた感覚とか。ただ淡々と。そういう感じだったと思います」。現在、名古屋市にある老舗の鉄鋼商社、岡谷鋼機に勤める坂本はそう語った。

 1977(昭和52)年、甲子園は新しいヒーローを求めていた。前年の夏、原辰徳(東海大相模)が聖地を去った。太田幸司(三沢)、定岡正二(鹿児島実)、原らにつながるニューフェースは誰か。そこに高校1年生、15歳の涼やかな投手が現れた。

 大会前はさほど注目されなかった右腕は、高松商や熊本工といった伝統校を退けるうちに女子学生の熱狂の的となる。二重の目に日焼けした長い首。176センチ、62キロの折れそうな体を目いっぱい使って投げ込む。地方大会でついた「黒鶴(くろづる)」という愛称はいつしか「バンビ」に変わった。学制改革以後、1年生が決勝で投げたのは第50回大会(68年)の新浦寿夫(静岡商)以来2人目。15歳は最年少だった。

 その試合はしかし、延長十回裏、東洋大姫路の安井浩二主将にサヨナラ3ランを浴びて幕を閉じる。坂本は薄い笑みを浮かべ、首をひねりながらマウンドを降りた。決勝でのサヨナラ本塁打は、後にも先にもたった一度のことだ。

 翌朝、中日スポーツの1面に、坂本と東洋大姫路の背番号7が試合後に握手する写真が載った。左翼手の平石だった。長打力が自慢の6番打者は四回に三塁打を放ち、同点の本塁を踏む。後述するがこの試合のキーマンの一人だ。

 話は1992年ごろに飛ぶ。あの夏から15年ほど経った秋のことだ。

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