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バーチャル高校野球

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(あの夏)松商学園×四日市工1 「当たった」突然の幕切れ

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 ■1991年・3回戦

 甲子園が「あっ」と、息をのんだ。直後、マウンドとバッターボックスに、2人の背番号「1」がうずくまる。いつ終わるとも知れぬ投手戦は、突如、幕が下りた。

 延長十六回1死満塁、サヨナラ押し出し死球――。

 「当たった瞬間、『勝った。あ、でも投げる方だ』って」とは、右肩に投球を受けた松商学園の上田。上体を起こすと、反射的に利き腕と逆の左拳を天に突き上げた。

 当ててしまった四日市工の井手元は「投げた瞬間、やばいと思った」。ひざからマウンドに崩れ落ちた。

 1991年8月18日は気温35度を超える猛暑日だった。午前10時24分。8強入りをかけた第2試合は、気温がぐんぐん上がる中で始まった。

 松商は春の選抜で準優勝し、27回目の夏は「全国制覇」を狙っていた。一方、四日市工は春夏通じて初の甲子園。井手元は大会ナンバーワン左腕の呼び声が高かった。

 上田は「甲子園のアイドル」だった。エースで4番。187センチの長身に、甘いマスク。選抜では鈴木一朗(イチロー)がエースだった愛工大名電(愛知)や、前年夏の甲子園を制した天理(奈良)などを次々と破り、瞬く間に黄色い声援の的となった。

 「選抜に出発するとき、見送りは5、6人だったのが、松本に帰ったときは、バスが身動き取れないほどだった」。全国から届いたファンレターは、大きな段ボール箱で5箱以上になった。

 盆休みから続く日曜日だったこともあり、スタンドは5万5千人で埋まった。四日市工の尾崎監督は「客席に隙間がなかった」と記憶する。観客の目当ての一つが、両投手の投げ合いだった。

 期待通りの投手戦。五回に四日市工、七回に松商が3点ずつ取った以外、スコアボードに「0」が並ぶ。松商の中原監督は「再試合を覚悟しました」。

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