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バーチャル高校野球

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秋田)「ここまでやっても勝てぬのか」91年大阪桐蔭戦

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 ■秋田の監督たち 小野巧さん(62)

 全国高校野球選手権大会(夏の甲子園、朝日新聞社・日本高野連主催)で、秋田を率いて臨んだ1991年の第73回大会は、忘れられない大会となった。

 「本当に強いチームというのは、こういうものなんだなと実感しました」

 3回戦の相手は大阪桐蔭。これまでに夏の甲子園を4度制した強豪だ。初優勝したこの大会で、最も苦しめたのが秋田だった。

 八回を終え、秋田が3―1とリードしていた。九回2死まで追い込んだが、粘る相手に安打を許した。その瞬間、空気が変わったと感じた。「相手の地元。一回にうちが3点を取った時は球場がシーンとなった。それが1本の安打でウワーッとなった」

 エースの菅原朗仁投手がまさかの4連打を浴びて追いつかれた。だが、本当にうなったのは、次の十回の秋田の攻撃のときだった。

 「2死ながら走者を二塁まで進め、サヨナラ勝ちのチャンス。ここで佐藤(幸彦選手、現・秋田中央監督)がセンター前に安打を放った。『よし、サヨナラだ!』と思いました」

 だが、大阪桐蔭の守備は鍛えられていた。ストライク返球で、本塁へ突っ込んだ走者がアウトに。「ここまでやっても勝てないのか……」と唇をかんだ。

 逆に十一回、勝ち越し本塁打を沢村通選手に打たれて力尽きた。沢村選手はこの一発で、大会史上3人目のサイクル安打を達成した。「それもよく覚えている。忘れられない思い出ですよ」と笑う。

 指導者として数々のことを教えた。20代半ばに赴任した鷹巣(今の秋田北鷹)時代は専用のグラウンドを持たず、リヤカーであちこちに荷物を運んで練習した。人呼んで「リヤカー野球部」。選手に伝えたことは「今日、精いっぱいやらないと明日はない」。

 母校の秋田に赴任してからは「(学習と野球の)二つの甲子園をめざそう」と呼びかけ、文武両道の大切さを説いた。

 さまざまな形で高校野球に関わってきた経験から、各チームの監督に「もっと色を出していい」と注文する。「人まねはいらない。相手から嫌がられるものを持つことが魅力となり、強いチームにつながる」(山田佳毅)

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