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バーチャル高校野球

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大阪)正しく投げて、走って、打つ 中村紀洋さん

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【動画】高校球児にメッセージを贈る中村紀洋さん=内田光撮影

 中学生の時の同級生が強豪の私立校に進みました。でも、自分は自信がなくてね。公立で野球に力を入れている高校はどこかと探して、渋谷を受験しようと思いました。

 当時は上宮、PL学園、近大付が3強。うちの高校は他の部活もあるので野球部はグラウンドの4分の1しか使えない。普段はランニングだとか、ノック。できる範囲のことしか練習できないので、甲子園なんて無理だと思っていました。

 毎日、学校から家に帰るとバットを振っていました。小学3年から高校卒業まで10年間、ずっとです。雨や雪が降ろうが、除夜の鐘が鳴ってみんなが初詣に行こうが、振った。30回と決めて打撃フォームも気にせずにフルスイング。全身で素振りをしていました。

 オヤジの言葉が心に残ったんですね。「嫌ならやらんでええんやで」。これでスイッチが入って、毎日振るのは自分の仕事だと。その姿をオヤジが見ていたんじゃないのかな。

 ぼくの打撃フォームは「神主打法」と言われましたが、自分では「ピッチング打法」と呼んでいました。投げる動作と同じという感覚です。周りから言われてフォームを変えられたくなかったので、打たないとダメだと思って、試合に臨んでいました。

 高校2年の時、夏の大阪大会決勝で上宮と対戦し、甲子園に初出場しました。新チームになって、1年生の11月ごろかな、上宮と練習試合をして死球を受けて、右手が折れた。決勝でボールを当て返すわけにはいかんから、打ち返そうと。その結果がまさかの2打席連続の本塁打。この決勝では、途中から救援でマウンドに上がりました。3年生に一日でも長く現役でいてもらおうと思って、投げました。

 甲子園では出場校で一番最後の登場。宇部商(山口)に負けました。大阪大会からすぐに試合ができたら、勝てたかもと思いました。3年の夏は公立校として大阪大会を連覇して甲子園で校歌を歌いたいと思いましたが、準決勝で大阪桐蔭に負けてしまいました。

 夏の甲子園に出るチャンスは3回しかない。出られるのはすごいことですが、出られない人はその後どうやって野球を続けていくのかを考えてほしいですね。

 昨年4月から、浜松開誠館高校(静岡)でコーチをしています。あまり細かいことは言いません。やっぱり迷いますからね、選手は。迷うとケガの元になる。聞いてくる子はどこが悪いか、自分で分かっているからこそ聞いてくる。聞いてこない子は言われっぱなしになって、迷うので言わないことにしています。

 正しく投げて、正しく走って、正しく振る。基本を大事にしないと体を痛めてしまう。ケガをすると、技術どうこうでなくなります。メンタル面では、絶対にあきらめないこと。最後までやり通す。途中で、あのときやっていれば良かった、ということをなくしてほしい。基本を大事に。そう認識してほしいと思って指導しています。(聞き手・室矢英樹)

     ◇

 なかむら・のりひろ 1973年、大阪市出身。2年の夏、72回の大阪大会決勝の上宮戦で2打席連続本塁打を放って初優勝した。甲子園は初戦の宇部商(山口)戦に4-8で敗退。以来、大阪の公立勢は夏の甲子園の出場がない。近鉄に入団し、2000年に本塁打王。その後、米大リーグ・ドジャース、中日、楽天、横浜などに所属。17年から浜松開誠館高校野球部(静岡)の非常勤コーチ。