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バーチャル高校野球

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大阪)「自分に自信を」阪神・福留孝介さん

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【動画】高校球児にメッセージを贈る福留孝介さん=小林一茂撮影

 子どものころあこがれたのが立浪和義(元中日・PL学園OB)さん。大きく見えた甲子園で、小さい体でホームランを打っていて「野球は体じゃないんだな」と思いました。僕がPL学園に進むきっかけとなった人です。

 中日が、自分の実家(鹿児島県)近くでキャンプをしていたので見に行って、大きな選手がいる中でも立浪さんが目立っていてすごいなあと。その時にサインとバットをもらいました。

 中学生のときに全国大会に出場し、縁あってPLに進学しました。鹿児島から1人大阪へ行くことも、野球ができる環境を求めていたので不安はなかったですね。

 入った頃は、全寮制。中村(順司)監督がいて、「野球がすごいからすごい選手ではなく、人として成長していって初めて一流の選手になれる」と厳しく言われ続けました。あいさつだったり、謙虚さだったり初歩的なことでした。今でも肝に銘じています。

 3年春の甲子園では、初戦敗退でしたし、夏も優勝はできませんでした。甲子園に出ることよりも全国で勝つことが目標でした。それで勝てなかったことは、自分たちに力が無かったと思えました。優勝できなかったからこそ、まだ未熟なんだという思いを今も持ち続けていられるのだと思います。

 やっぱり何をするにしても悔しさというものがなければうまくならないし、ここでいいやと満足してしまえばそこで止まってしまう。負けたことが、力をつけてもっともっと上へ行くと思わせてくれました。

 3年生の春、センバツで負けた後、監督に「おまえが成長しなければチームとしてまとまらない」と言われました。どこかで全国にいけるっていうおごりがあったのを感じ取っていたんだと思います。

 だから春に負けて、次の日の練習で最初に始めたのはキャッチボールでした。たぶん、基本的なことから足元を見つめなさいという意味で、1時間半から2時間、ずっとキャッチボールをしました。それも数日間続きました。当時の監督、コーチからは「基本は大事なんだよ、忘れたらだめなんだよ」と、口酸っぱく言われました。

 鹿児島から出てきてPL学園で野球をする道を選んだのも、ドラフトで1位指名を受けた球団に行かなかったのも、全部自分で決断したことです。何かをするとき、野球も一緒だけど、グラウンドに立ったらほかに頼る人はいません。打席でも、守っていても、最後に信じられるのは自分。自信過剰はいけないかもしれないけど、それぐらい自分に自信を持ってやるということが大切です。

 僕は、ゲーム中は「自分が一番うまい」、その代わり練習中は「自分が一番下手だ」と思っていました。基礎で足元を固めることもそう。それが少しずつ自信の裏付けになるんでしょうし、ゲームで堂々としたことができるんだと思います。(聞き手・渡辺元史)

 ■ずば抜けていた目配りや気配り・野球部の同級生で会社員の諸麦健二さんの話

 孝介はまじめで冷静。野球でも学校でも、みんなが騒いでいる中で一歩引いて見ている。練習中に連係ミスが続いたとき、監督・コーチが怒り出すかなーってタイミングで、監督に断って練習を中断してミーティングをしていました。長いときは、外野の芝生に座って30分くらい。選手同士で立ち直ることができました。普通、監督に中断させてくれって怖くて言えないですよ。でも、孝介はできた。打撃もそうでしたが、目配りや気配りも僕らの中で、ずば抜けていましたね。

     ◇

 ふくどめ・こうすけ 1977年、鹿児島県出身。1年秋から4番を任され、3年夏(第77回)の大阪大会では、1大会7本塁打を記録し、優勝に貢献。選手権大会で8強入りした。95年のドラフト会議では、野手として史上最多7球団から1位指名。近鉄が交渉権を得たが、拒否して社会人野球へ。99年に中日に入団。カブスなどメジャーを経て2013年に阪神移籍。06、09年には日本代表としてWBCで優勝。