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秋田)能代松陽 工藤明さん(41) 大敗のスコア張り

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 能代商(今の能代松陽)が、25年ぶり2回目の出場を果たした2010年夏の甲子園。監督として大きな目標を一つかなえた。

 八峰町出身で、能代商から中央大へ。卒業後に秋田に戻り、03年から母校の監督となった。

 当時、甲子園は遠い存在だった。まずは心構えを徹底した。「だれからも応援され、愛される野球部をめざそう」。雪かきやそうじを率先して行い、試合での声援は増えていった。

 部員は年ごとに自信をつけた。10年夏の秋田大会は、6試合のうち5試合が逆転勝ち。底力を出して、大舞台へと向かった。

 初戦の相手は鹿児島実。開会式の時点で気(け)おされた。「鹿実」のユニホームの入場行進は堂々として、指先まで神経が張り詰めているように見えた。スタンドの部員も、厳しい顔つきを崩さない。勝負にかける雰囲気が違った。

 試合は投打で圧倒された。相手投手の球の切れ、打者の打球の速さは、秋田で見たこともなかった。0―15の完敗。試合後、選手たちにかける言葉が見つからなかった。「全国のレベルを私が把握できていなかった。申し訳なかった」

 次の目標は秋田大会の優勝ではなく、甲子園で勝つことになった。能代に帰ってすぐ、新たなチームづくりに取りかかった。相手から学んだポイントは「精神力」と「パワー」だ。

 精神力を鍛えようと、室内練習場に鹿実戦のスコアを張り出した。部員には何も言わなかったが、気持ちは全員に通じた。

 打撃のパワーを増すため、普通より300グラム重い1200グラムの竹バットで練習した。他チームなら冬にするウェートトレーニングも、夏から始めた。

 「土台を大きくしなければ、甲子園では勝負にならないと感じたのです」

 大敗の悔しさを忘れない――。臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の日々が始まった。(渡部耕平)