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「野球で社会人の基本を」秋田経大付、心身鍛えて甲子園

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 ■みちのく白球譜 第64回全国選手権大会・2回戦 秋田経大付2―5鹿児島商工

 1982年、秋田経大付(現・明桜)を率いる伊藤護朗は、悔しさを胸に甲子園に戻って来た。部長だった前年は、志度商(香川、今の志度)に1―2で敗れ、8強入りを逃した。

 初戦の鹿児島商工(現・樟南)戦。右下手投げの先発古田弘道(2年)は、相手打者のタイミングを外し、序盤から飛球の山を築いた。打線も古田を援護し、三回には2点を先取した。

 1点差に迫られて迎えた七回。1死後、鹿児島商工は三塁方向へセーフティーバントを決めた。次打者も一塁方向へセーフティーバント。古田の投球動作の遅さを突かれた。

 1死一、二塁で次打者はスリーバント失敗。「次は三番の強打者。よもやバントはない」。伊藤はそう踏んだ。

 響き渡る歓声。暑さが、リズムを崩された古田の体力を奪う。次は初球を狙われた。三塁線へ、またも絶妙なセーフティーバントだった。ボディーブローのように効いた。2死満塁で、次打者には初球を左翼へはじき返された。逆転された。

 伊藤は選手が重圧を感じないよう、気楽にプレーするよう指示していた。「七回は発破をかければよかった。指導力不足だった」と悔いる。

     ◇

 伊藤のモットーは「勝負は日常心(しん)にあり」。あいさつはしっかり、道具は大切に。寮生活は規則正しく。レギュラーかどうかは関係ない。「野球は社会人の基本を学べる」と言い切る。

 体が自然と反応できるまで、厳しい練習を課した。部員たちは心身共に成長。引退後は、野球部のない企業からも「引っ張りだこ」だった。

 選手のひたむきさが高校野球の人気の源だと考える。「選手は感動を与えようと無理をしなくていい。全力でやれば、その後の人生につながる」=敬称略、肩書、学年は当時(神野勇人)

 1946年、秋田市生まれ。秋田経法大付では主将で三塁手。91、92年は秋田経法大(現・ノースアジア大)監督として全国大会へ。秋田県野球協会会長。