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愛媛)松山商OB・井上明さん、愛媛大会始球式に臨む

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 松山商OBの井上明さん(67)が今夏の第100回全国高校野球選手権記念愛媛大会の開幕試合で始球式に臨む。1969年の第51回全国高校野球選手権大会の決勝で三沢(青森)のエース太田幸司さんと投げ合い、甲子園初の「決勝引き分け再試合」を演じた。決勝の思い出や今年から始まるタイブレーク制への考え、始球式への意気込みを聞いた。(藤井宏太)

 あの試合で語り草となっているのが延長十五回裏。三沢は先頭打者が出塁し、エラーとバントで1死満塁とした。マウンドの井上さんはスクイズを警戒して2球外したが、3球目もボール。ひざをついて「ああ、ボールか」と思わず漏れた。1球間違えば押し出しのサヨナラ負け。三沢の応援団が陣取る三塁側スタンドが沸き、松山商の一塁側が静まる様子が聞き取れたという。

 捕手の大森光生さん(当時3年)がストライクゾーンの真ん中にミットを構える。井上さんは間髪いれず投じ、2ストライクとなった。だが、次の球を顔の右側近くに打ち返された。

 井上さんは左手のグラブを伸ばし切って倒れ込み、何とか打球をはじいた。球の行方を追おうと振り返ると、遊撃手の樋野和寿さん(当時3年)の姿があった。「走馬灯みたいにスローで見えた」。1死満塁、フォースプレーでアウトになる。樋野さんはとっさに軌道がそれた球をつかみ、本塁へ送球していた。

 「それた球をとるために捕手の足がベースから離れて、その間にランナーが滑り込む。サヨナラってだいたいそんなもんですよ」。ただ、樋野さんの送球は捕手のミットにすっぽり収まった。コースと高さ、どちらも完璧だった。本塁を突いた走者はアウトになり、後続も打ち取った。

 十五回が終わり、「いつまでやるんだろう」と思っていると、延長は十八回までと場内にアナウンスが流れた。残る3イニングを投げきり、0―0で終えた。

 「ああやっと終わったと、そう思った。疲れ切っていて、投げ切ったうれしさ、引き分けた悔しさは感じなかった」と井上さん。翌日の再試合は先発したが、一色俊作監督(当時)が中村哲さん(当時3年)との継投策をとり、4―2で松山商が優勝を決めた。

 井上さんは延長十五回でのピンチを「思い出したくない」と言うが、それだけに鮮明に覚えている。96年夏の甲子園決勝で松山商が優勝した試合になぞらえて、こう表現した。「私にとっては、あれも『奇跡のバックホーム』です」

 ■「完投」言っている場合ではない

 ――近年は愛媛県勢が甲子園で勝てていない。その要因は何だと思うか

 パワー野球に置いていかれてる。昔は1点を取り相手の隙を突く愛媛のスタイルが通用した。ただ、木製バットの時代はそれでいいが、今は金属バットの時代。1点取っても打たれたら1発で逆転される。

 スイングの強さと速さを強調するプロが近年多い。強豪校の中軸もスイング力を身につけて、球をいかに呼び込んで打つか、というのを意識している。

 打力が上がっている分、相対的にエース1人で勝ち抜くのが難しくなってきた。監督にとって継投のタイミングは悩ましいが、投げ方の違う投手を使い分けるのも、金属バットへの対応策だと思う。

 ――投手という役割についてどう思うか

 「投手というのは背中で物語るんだ。みんなお前の背中を見てる」。一色監督がエースの心得としてよく口にしていた。「こいつのためなら」と野手に思ってもらえないといけない。

 そのためには、野手より2倍くらい練習している姿勢を見せないと。学校生活も大切。「内容が分かってなくても眠くてもいいから、背筋伸ばして黒板見とけ」と一色さんに言われた。それだけでも違う。

 最後まで投手が頑張れるか、走り込みの最後1メートルで手を抜かないか。野手は見ているよ。

 特に強豪校は、中学時代にエースだった選手がごろごろいる。そいつらと競争して、最後に背番号1がもらえる。だからこそ、それなりのことをしないと、競争に負けた野手からの信頼は得られない。

 記者時代に「何球でベストピッチングできるの」とよく投手に聞いていた。「投げていたら良くなる」という子がいるが、それでは遅い。負けられない試合で序盤に与えた点は取り返せないから。何球でベストの状態になるのか、日頃の練習で集中して見極めてほしい。

 ――タイブレーク制ができた。もう甲子園で、あの「延長18回引き分け再試合」は見られないが

 情緒的には(タイブレーク制を)やめてほしいし、自分だって目の前に優勝がぶら下がってたら投げますよ。しかし、「涙の完投勝利」なんて言っている場合ではないでしょう。ひじや肩をけがして、野球が大好きだった子どもが、大人になって草野球もできなくなる姿は見たくない。ただ、中学生の時からけがをしている子もいるから、高校生だけ投げ過ぎを規制しても難しいと思う。

■次の100年へ「最後のご奉公」

 ――始球式の意気込みや球児たちへのメッセージは

 野球の運はあの決勝で使い切ったと思っていた。始球式は最後のご奉公だと思ってる。正直よく100回も続いたと思う。昔の人だってここまで続くと思ってなかったはず。

 記念大会で試合をできるのは、それだけで将来思い出に残る。「俺たち100回大会に出たんだよ」って。ただ、それ以上に、この大会は101回目につながる大会。プレーする球児には、ひたむきなプレーで、これからの50年、100年につなげてほしい。

     ◇

 いのうえ・あきら 大洲市生まれ。松山商を経て、明治大でも投手、主将を務めた。卒業後に朝日新聞に入社し、2011年に退社するまで高校野球を中心としたスポーツ取材に携わった。