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バーチャル高校野球

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(白球の世紀:4)サヨナラ、71年後の証言 高校野球

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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 大阪の郊外、豊中グラウンドで開かれた第1回大会は1915(大正4)年8月23日、決勝を迎えた。

 秋田中(現秋田)の相手は京都二中(現鳥羽)。同校は21日の準決勝で和歌山中(現桐蔭)と対戦したが、九回裏1―1まできて大雨で再試合に。翌22日、9―5で勝ち上がった。秋田中は優勝候補の早稲田実を準決勝で破って勢いに乗り、休養も十分で有利とみられていた。

 試合は秋田中・長崎広と京都二中・藤田元の投げ合いで1―1のまま、大会初の延長戦に突入する。外野フェンスはなく、棒杭に綱を張っただけ。そんな会場で、5千とも1万ともされる観衆が声援を送った。

 十三回裏1死二塁、秋田中の二塁手、斎藤長治が飛球をワンバウンドさせ、飛び出した二塁走者を見ずに一塁へ送球。一塁手の信太貞がもたつく間に二塁走者が一気に本塁を突き、試合終了。初の栄冠は京都二中に渡った。24日付大阪朝日は「敵を侮りてかかり功を急(せ)りて却(かえ)って失敗せる」と傍点付きで記した。

 このサヨナラ劇の内幕を、秋田中の捕手で主将だった渡部純司が1986年6月、地元「無明舎出版」社長の安倍甲(あんばいこう)(68)に語った録音テープがある。

 欠員を埋める急造部員がいたチームで、「肝心のところで弱点に球が飛んだ」という。信太の「ファンブル」は、実際は少し違って、彼は送球前に時折腕を一度小さく振る癖があり、その癖のため一瞬遅れたという。

 また、渡部は、大阪は暑く、決勝の前日、秋田には珍しいアイスクリームを食べ、腹を下していた、とも語っている。

 秋田中は去り際に「京都軍万歳!」と声をそろえて相手をたたえ、観客の称賛を浴びた。

 郷里は試合結果の電報を待ちわびていた。だが、感極まった選手らは宿舎で心ゆくまで語り、気が済んだ後で打電。そのせいか、秋田魁新報の25日付記事は「残念!(二対一にて/秋中負けた)」の見出しと記事6行だった。(編集委員・永井靖二)