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バーチャル高校野球

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(白球の世紀:24)土作り全力、甲子園完成 高校野球

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 ■ありがとう 夏100回 これからも

 阪神甲子園球場は、1924年8月に開かれる第10回全国中等学校優勝野球大会に間に合わせるため、5カ月足らずの突貫工事で建設された。真夏の炎天下の野球観戦を想定し、客席の上には大きな屋根(鉄傘)が取りつけられた。牛が引く巨大ローラーが整地作業に使われ、その周囲で鉄傘の骨組みが組み立てられた。

 現場に、それぞれが15平方メートルほどの十数面の小グラウンドが並んでいた。「何をしているのか」と不思議がる作業員らを尻目に、幾通りもの色合いや粘り気の土をローラーで様々な硬さにならしては、ユニホームにスパイク姿の一人の男が連日、滑り込みを繰り返していた。阪神電鉄の用度課でセメントの調達係を務める石川真良だった。

 石川は秋田中(現秋田)から、慶応大へ進学。同野球部のエースとして10(明治43)年の米国遠征にも参加し、米国の大学チーム相手に勝利を収めた。15年の第1回全国中等学校優勝野球大会では母校秋田中のコーチとして準優勝に貢献。その石川が阪神電鉄に入社しており、東洋一の巨大球場の建設に巡り合った。石川は全精力を傾け、神戸・熊内(くもち)の黒土と淡路島の赤土の配合を基本に、球が見えやすく滑り込みもしやすい、球児らに最適な土を作り出した。

 球場の建設費用は約100万円で、うち土の費用が5万~6万円かかったという。外野席は土塁でアルプス席はまだなかった。完成を祝い、沿線150余の小学校から2500人を超す学童が参加した8月1日の陸上競技大会が使い初めとなった。

 13日、代表19校で第10回大会が甲子園球場で始まると、3日目には内野席が人で埋まり、兵庫の神港商(現市神港)や大阪の市岡中(現市岡)が出た4日目は外野席も満杯に。関係者が当分不要と思っていた「満員につき来場お断り」の貼り紙が阪神電鉄の各駅に出た。大会は商業学校として初めて広島商が優勝。翌春には選抜大会も開かれ、以後ここが球児の「聖地」となる。(編集委員・永井靖二)