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清原和博選手の13本塁打の全打席

2007年08月14日

 長い甲子園の歴史で、過去最高の本塁打数が清原和博(現オリックス)選手の13本であるのは皆さんご承知の通りである。

写真PL学園―宇部商 6回裏1死、PL学園の清原選手が中越えの本塁打。捕手は田処選手=95年8月21日

 清原と言えば本塁打、本塁打と言えば清原と連想される史上最高の本塁打打者は、数々の本塁打記録を樹立している。

 まず1年生の夏から5季連続出場し、5季すべての大会で本塁打を放っている。夏通算9本、春4本(他に元木大介がいる)、そして昭和59年と60年の2度にわたって年間6本塁打という記録をつくっている。

 また1大会としては、昭和59年春に3本を放ったが(これは他に7人いる)、昭和60年夏の1大会では5本塁打を放った。これは、清原ただ一人である。

 昭和59年夏の享栄との1回戦では、春・夏通じて初の1試合3本塁打を放った。これは後の平成17年夏に大阪桐蔭の平田良介(現中日)が対東北戦で記録している。

 3試合連続本塁打は1回(他に春夏で5人いる)、2試合連続は1回(他に多数あり)、1試合2本塁打(すべて2打席連続本塁打)は3回で、その内、1回は2試合連続で2打席連続を放っている。また、2者連続を含む1イニング2者本塁打を2度記録するなど、数々の新記録、タイ記録を持っている。

 (別表1別ウインドウで開きます)に13本塁打の内容を詳しく記載したが、これをよく見ると色々な特徴がわかる。その一つが、清原が本塁打を放つとチームのムードが俄然盛り上がり、その試合はすべて勝つことだ。

 清原の本塁打はソロと2ランのみで、ソロ本塁打8本の内訳は先頭打者5本の、無走者3本だ。ということは、走者がいる2ランは5本だ。

 走者がいない時、又は走者が一人の時には勝負球を捕らえられたが、走者がたまった時にはまともに勝負してもらえなかった事がうかがわれる。

 また、打球方向は左翼へ8本、中堅に2本、右翼に3本で、どの方向にもまんべんなく打っている。当時はまだ、ラッキーゾーンがあったので、興味をもって調べたところ、13本中8本がスタンド入りし、5本がラッキーゾーンだった。

 また、不思議なことに、13本すべてを右投手から放っている。清原は甲子園で、119回打席に立ち、3犠打と25四死球を除く、91打数39安打を放ち打率は4割2分9厘だった。左投手からは25打席(犠打1、四死球3)で、21打数7安打の3割3分3厘だった。右投手には94打席(犠打2、四死球22)で、70打数32安打の4割5分7厘で、右投手を得意としていたのが分かる。

 この本塁打の中には初球が一つもないのも特徴の一つだ。球種はストレート、カーブ、スライダー、フォーク、シュートと何でも打っている。高めの見送ればボールの球もいくつか見受けられる。185センチ、93キロの恵まれた身体からのするどいスイングで、得意の甘い高めの球を見逃さずに仕留めていたことが分かる。


恒川直俊(つねかわ・なおとし)

 1940年、名古屋市生まれ。明治大法学部卒。高校野球を中心とした野球史の研究に取り組む。著書に「プロ野球で活躍する甲子園球児の戦歴事典」(2000年東京堂出版、2003年改定)、「出身校別懐かしの甲子園球児たち」(2005年東京堂出版)、「熱球譜‐甲子園全試合スコアデータブック」(2006年東京堂出版)などがある。
>>主な著作

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