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ブラジルで闘病の母に届け 本庄一・奥田ペドロ君

2008年08月02日

<北埼玉代表 本庄一>

写真北埼玉大会決勝でも中軸をつとめた奥田ペドロ君=さいたま市の県営大宮公園野球場

 ブラジル移民から100年を迎えたこの夏、日系3世の球児が大舞台に立つ。春夏通じて甲子園初出場を果たした本庄一(北埼玉)の遊撃手、奥田ペドロ君(2年)。地球の裏側から夢見た「コウシエン」で、闘病中の母を元気づけたいと願っている。

     ◇

 昨春来日して寮生活を送るペドロ君は、1年の夏からレギュラーとしてチームを引っ張る。俊足好打の主軸で、打率4割4分はチーム一だ。

 今年4月、ブラジルで暮らす母ロザさん(55)が脳腫瘍(しゅよう)で倒れた。長男のペドロ君は急きょ帰国。チームは春季県大会で初戦で敗れた。

 闘病生活が1カ月を過ぎた頃、病床の母が言った。「私は大丈夫だから、戻って野球を頑張りなさい」

 ペドロ君が戻ったチームは北埼玉大会をノーシードから勝ち進み、甲子園出場を決めた。電話で母に報告すると、「パラベィンス(おめでとう)! テレビで応援するからね」。涙声だった。

 母の記憶では、日本からブラジルに渡った祖父は1940年ごろ、片田舎で野菜をつくり、その後、サンパウロ州のマリリア市で小さなプラスチック工場を始めた。この街がペドロ君の故郷だ。

 8歳の時、地元チームで野球を始め、14歳で日系企業がつくった野球アカデミーへ。監督に見せられたビデオで、甲子園と出会った。技術の高さと満員の観客席に驚いた。

 05年春、あこがれが目標に変わる。アカデミーの先輩、片山マウリシオ投手が羽黒(山形)のエースとして甲子園に出場。日本の高校の野球部を志すようになった。

 ペドロ君の甲子園出場のニュースは、マリリア市の日系人社会を駆けめぐった。ペドロ君に野球を教えた日系3世のミヤモト・フミオ監督(47)は「チームの子は皆、ペドロにあこがれ、練習に励むようになった」と話す。

 「少しでも長く甲子園にいて、母を喜ばせたい」。2日の開幕に臨むペドロ君の思いだ。(西村圭史、金成隆一)


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