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今伝える「背番号1の誇り」 酒田南・小山投手

2008年08月09日

<山形代表 酒田南> 待ちに待った甲子園のマウンドは、すっかり荒れ果てていた。

写真福井商−酒田南 9回表、投手交代で小山(左)へボールを手渡す先発の安井

 1―3で迎えた9回表無死一、三塁。もう1点もやれない場面で、酒田南の背番号1、小山貴史君(3年)は登板した。交代の際、先発の安井亮輔君(2年)からボールを受け取った。

 「すんません」

 泣きそうな顔でしょぼくれる安井君の左肩をたたいた。

 「まかしとけ」

 安井君を継投するのも初めてなら、安井君の口からそんな言葉が出たのも初めてだった。

 「左右の両エース」。西原監督は2人をそう呼んだ。小山君の1年上に絶対的なエース、山本斉(ひとし)君(現東京ヤクルト)がいた。入学当初から「次元が違う」と実力の差を感じさせた先輩をひたすら追いかけ、やっと自分のものにした背番号1。「両エース」と呼ばれることは、エースナンバーの価値を半減させる気がした。後輩の安井君の急成長に焦りを感じた。たぶん、嫉妬(しっと)も。練習試合で安井君が投げると、気になって投球練習に身が入らなかった。

 だが、慣れとは恐ろしいもので、いつの間にか「両エース」の呼称に抵抗を感じなくなった。「両」の片方でいられることに安心してしまったからだ。すべての試合で孤高のマウンドを守り抜く――。先輩の背中に見たエースの誇りを見失っていた。

 迎えた夏。3試合20回投げた山形大会の出来は「0点」。立ち上がりが悪く、制球が定まらない。優勝を決めた時、ベンチを飛び出して他の誰よりも泣いた。甲子園に行けるうれしさと同じ分だけ、不調のまっただ中にいる悔しさがこみ上げた。

 以後2週間、不調のどん底からはい上がるために、投球フォームを見直した。「両」ではない、取り換え不能のエースの誇りを取り戻すために。そんな姿を見たのだろう。西原監督は「なぜ、安井君が背番号1ではないのか」と聞く報道陣に「小山も良い投手ですから」と答えた。

 けれど、西原監督は大事な甲子園第1戦の先発に安井君を選んだ。それなりに調子も良かったし、前日の練習後、西原監督は捕手の西凌太君(3年)に「先発、小山」を示唆したと聞いたのに。完投能力のある安井君のことだ。自分に出番はないかもしれない。不安と焦りがない交ぜになって、胸を覆った。

 「まかしとけ」と言って上がったマウンドだったが、だめ押しの3点を奪われた。マウンドに仁王立ちするエースの姿を残すつもりが、1回、打者4人に15球投げて被安打1、失点1の記録が、甲子園90回の歴史に小さく刻まれただけだった。

 試合後もうつむいたままの安井君と対照的に小山君はすっきりとした顔をしていた。両エースと呼ばれながら、期待に応えられなかった自分が今、できること。「安井、お前がエースだ」と素直に認めること。その上で伝えたい。

 「来年のセンバツも夏も、また甲子園にもどって来い。お前ならやれる」と。


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