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文理野球「やりきった」 日本文理・中村大地主将

2009年08月25日

 試合終了の瞬間、中村大地の目には自然と涙があふれてきた。「親元を離れて日本文理に行って、いろいろな人の支えでここまでやってこられた」。感謝の気持ちが流した涙だった。

写真仲間に声をかける中村大地主将(右)=矢木隆晴撮影

 順風満帆な1年ではなかった。昨秋の北信越大会直前、左足の甲を疲労骨折。チームが優勝をつかみとるのを、三塁コーチとして見守った。12月に練習に復帰したが、同じ部位を再び骨折。今春の選抜大会には無理して出場したが、満足のいくプレーはできなかった。

 チームをまとめることにも心を砕いた。選抜大会後、初戦敗退したチームの士気は下がった。練習の雰囲気が悪く、毎日のように練習後に話し合った。「春の悔しさを、夏にぶつけないとだめなんだ」。チームメートに訴え続けた。夏の新潟大会が始まる前、やっとまとまりが戻った。

 選抜大会後、故障していて冬にできなかった分、バットを振った。金属製のボルト5本とプレート1枚が残る左足で、走り込んだ。体重を10キロ落とし、体にキレを戻した。6月の北信越大会までは調子の上がらなかった打撃が、この夏は絶好調だった。その中村に引っ張られるように、チームは快進撃を続けた。

 中京大中京戦。6点リードされて迎えた9回。ベンチでは1人もあきらめていなかった。「とにかく全員で回そう。おれたちなら絶対できる」。打者一巡の猛反撃で2死から5点を返し、1点差まで迫った。中村が、そして日本文理が追い求めた野球の集大成だった。「最終回の攻撃が、まさに『文理の野球』。自分たちが目指してきたものがこの舞台でできた」と胸を張った。

 「新潟は、今まで雪国で力がないって言われてきた。でも、やればできるという結果を残せた。悔しいより、やりきった感じです」。記憶にも、そして球史にも残る戦いを終えた主将は、さわやかな笑顔だった。(柄谷雅紀)


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