建築はアートとなり得るがアートではない。アートとは作家から湧き出る表現である。その自由さに人々は感動を覚える。アートは作家個人のものであり、社会の評価は後から付いてくるものである。作家は大衆を相手にする必要はない。ところが建築の世界ではそうは行かない。建築は日常である。建築はアートではなく文化である。アートは文化の一部であるが、建築は文化そのものである。建築は人や社会に愛され使われ、幾十年幾百年の時を経て力を発揮する。


北京オリンピックは建築家の想像力のオンパレードである。鳥の巣のようなスタジアムに、泡の集まったデザインのようなスイミングプール。メビウスの輪のような超高層。成る程何れも素晴らしい芸術作品である。中国という国家の象徴としては実にふさわしい。昨今建築家が手掛けるインスタレーションが美術館には溢れている。建築家は、大学時代から空間芸術のコンセプト作りのトレーニングを受けて来たプロである。建築家は実に優秀な作品を作り上げる。構造技術が進歩した今、建築家は如何なる形態でも作り上げることが可能である。今やアヤメの花のような三次曲面もつくることが可能である。新聞やテレビはアートワークとしての建築に拍手喝さいを送る。ここに落とし穴が潜んでいる。


建築はファッションではない。建築家は自らの創造物の齎す結果に対して大きな責任を負っている。ハンドバックであれば飽きたとき箱にしまって、しばらくしてから取り出せば良い。車であれば5年もすれば買い換えれば良い。ところが建築は箱にしまう事も、簡単に買い換えることも出来ない。しかも建築は個人の持ち物ではない。たとえ一軒の住宅であろうとも、街並みに対して大きなインパクトを持つ。日本には建築雑誌が溢れている。10年前の建築雑誌を開いてみると驚く。10年前に最先端であったその殆どの建築は時代遅れとなり、今でも輝きを失わない作品は一握りである。時代遅れということは、最先端の裏返しである。昨年のファッションが時代遅れになるのと同様に、昨年の建築デザインの最先端は今年の時代遅れとなる。


実は建築の場合、最先端という言葉はあまり意味を成さない。50年100年という建築の寿命に対して、ファッションは毎年のように入れ替わるからである。たとえ10年先を見越したデザインであっても十分ではない。時代を超える建築を見つける鍵は、揺れ動く未来ではなく、現在の日常の中に存在する。実は人間という動物は、ここ数千年殆ど進化していないし、進化しているはずもないのである。多分300年前の人間を現代にタイムスリップさせても、心地良いと感じる建築空間は現代人とそうは変わらない。建築の歴史は人間の歴史である。建築を発明することで、人間はサルの生活から決別を果たした。今我々が語っているファッションは、その悠久たる歴史の、最後の幾百分の一に過ぎない。


戦後の日本は風景となるような街並を作れていない。我々は時代の記憶を100年後の未来へ残すことに失敗している。今我々は時代を超えて生き残る強い建築を作らなければならない。強いということは骨組みが強いということではない。今どき100年持つ建築の骨組みを作ることは難しいことではないのに、日本の建築の殆どは20年30年で取り壊されてしまう。今建築にとって最も大切なのは人の愛情である。愛を得ることに失敗した建築は生き残ることができない。建築が陳腐化するということは、その建築に愛情を注ぐ人間がいなくなったという事である。世界遺産となっている美しい街並みが生き残っている理由は、その街並みを愛する人がいるからである。建築は生き物である。たとえ数年でも人がいない住宅が急速に老朽化することは誰もが知る事実である。人の愛情は建築にとってその生命にかかわる栄養である。人がどのような建築を愛するのかは、注意深く社会を観察すると見えてくる。愛されている建物には人が溢れている。愛されている建物には人の笑顔がある。古い建築が愛されるのは当たり前のことである。過去を振り返っても答えは出ない。過去の建築の存在理由はその建築の生まれた時代背景にある。時代背景と乖離した建築は、チョンマゲをつけて現代の町を歩くのと同様滑稽である。古い建築は古いから愛されているのではなく、愛されているからこそ生き残れたのである。我々が模索するのは、100年後の子孫へと向けて今を生きる日本人の遺産として残す建築である。


実は少ないながらも希望はある。横浜に大桟橋という実に自由な造形の建物がある。外国から訪れる外国客船の為のターミナルである。この建築の形態は単なる彫刻ではない。未来を示唆しつつも、人々へと温かい手を差し伸べている。大桟橋の屋根には毎晩沢山のカップルが集まっている。我々の子供はこの屋根の上が大好きである。我々が何もせずとも何時間も笑い転げながら走り回っている。曲面の齎す心地よい斜面が実に心地よいのである。この建物に説明は要らない。実は愛情の獲得手段は様々である。コーヒーを飲みたくなるような大きな素敵な軒。ホッとするような小さな広場。誰でも判る建築のチャーミングポイントはすぐ見つかる。愛すべき建築を作ることは難しいことではないのである。愛すべき建築は生き残り、景観となる。景観は風景となり幾百年の時を経て風土となる。イギリスのアーツ・アンド・クラフツの建築は、風景から風土へと進化している。日本のこれからの風土とはどうあるべきなのか考えていきたいところである。

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