禁酒村の小学校、子ども見守る心残った2008年04月20日01時58分 「リンリン」
午前7時、クマよけの大きな鈴をランドセルにつけた小学5年生と2年生の兄弟は、玄関を飛び出すと、家族の運転する軽乗用車に乗り込んだ。 杉の大木が山を覆い、雪解け水が音を立てて流れる。地区内の六つの集落を合わせても商店は2軒しかない。木造の家がひっそりと肩を寄せる山里を通り、車は峠道へと向かった。 兄弟は石川県津幡(つばた)町で4世代8人で暮らす農業加藤篤(45)の長男恒基(こうき)(10)と次男剛士(たけし)(8)。今年3月で閉校になった町立河合谷(かわいだに)小学校の最後の在校生だった。 今春からは約10キロ離れた町立笠野小学校に通う。兄弟は車でいったん富山県に入った後、石川県に戻る山道を抜け、水田地帯へ。そこで車を降り、集団登校の列に加わった。 2人が3月まで学んでいた河合谷小は、村を挙げた禁酒で校舎建設費を工面した歴史を持つ。 1926年、当時の河合谷村は老朽化した校舎の建て替えに頭を悩ませた。300戸足らずの村で、建設費4万5千円あまりをどうひねり出すか――。 「村で消費している年間9千円の酒をやめれば、5年間で償還できる」。自治会長が提案。激論の末、全村民が禁酒し、毎日5銭以上貯金する規約を決めた。8軒あった酒屋は自ら店をたたんだ。 河合谷小は、半世紀前のピーク時には約300人が通ったが、児童数は年々減り続けた。それでも「禁酒の村」の子どもを見守る心は息づいた。教材費に充ててもらうため、約180の全戸は毎年2千円ずつ出し合った。 「若い時は地元に執着していなかった」と加藤は言う。診療放射線技師として金沢市などで働き、00年春、専業農家に。点在する田畑で、コシヒカリや特産のマコモを作る。「だれかが農業をやらにゃと思ったし、子どもと接する時間も持ちたかった。ここは、人数が少なくても、小学校は大切な宝という思いが強い地域なんです」 だが昨年3月、町議会は町の原案を受け、河合谷小を1年後に閉校すると決めた。地元児童が毎年数人と少ないことや、老朽化した個所の修理に多くの費用がかかることなどが理由だった。 地元と保護者たちはあきらめられず、存続を求めて署名を集めた。その輪は町中に広がり、地元住民の5倍の2千人分が集まった。その結果、開かれた10月の臨時町議会。住民も稲刈りや会社を休んで駆け付けた。「河合谷小は児童が少なく、切磋(せっさ)琢磨(たくま)できない」。町議らの発言は、住民の思いとはすれ違ったままだった。 「議長、意見を言わせてください」。採決の直前、傍聴席から声をふり絞った母親がいた。 約12キロ離れた町中心部からバスで河合谷小に長男を通わせる大長(だいちょう)博子(37)だ。 長男は入学前、職場の同僚からお菓子をあげると言われても、受け取らないおとなしい子だった。「一人一人が主役」という河合谷小のフレーズに心ひかれて行かせると、息子はわずかな間に、運動会の応援合戦で大勢の観客を前に声を張り上げるほどに成長した。運動会には地元の住民も加わり、笑いと拍手があふれた。 毎年末、しめ縄作りを教える80歳すぎの夫婦。バスを待つ低学年のために、放課後一緒に縄跳びや折り紙をする元教員。校庭の雑草をむしるお年寄りたち。 「地域が子どもを見守ってくれている」。大長は自分の故郷・鹿児島に似たぬくもりを感じた。 臨時町議会では、議長に退席を命じられ、意見を聞いてもらえなかったが、こう言いたかった。「小規模校の子どもはダメな子ですか。小学校に来て見てほしい」 採決の結果、町議会は再び閉校を決めた。 今年3月末、町主催の閉校式があった。「子どもたちを温かく送り出したい」と体育館は地元、東京在住の出身者ら約250人で埋まった。幼い子を連れた母親や茶髪の若者も立って式を見つめた。 「地域の人にお世話になり、たくさんのことを学びました」「河合谷小が大好きです。ありがとう」。最後の児童は13人。卒業生4人の言葉が会場に響いた。 運動会、もちつき、古い校舎……。松任谷由実の「春よ、来い」が流れる中、大画面に次々と写真が映し出された。お年寄りが目元をぬぐった。 加藤が言った。「みんなに見守られて学んでいくことは、子どもの人生にとっても大切なことだと思う。毎日子どもが通学する風景は、地域にも励みになる」 学校の存続運動はかなわなかったが、その思いは今も変わらない。だから、車で山道を越えた子どもたちを学校までは送らず、途中で降ろし、行きも帰りも学校近くを歩かせている。「いいか。地域の人におはよう、こんにちはってあいさつするんだよ」 河合谷小で校庭の24本のソメイヨシノが満開になったのは、4月半ばになってからだった。 加藤は、山に植樹などをする「緑の少年団」を閉校後も存続させ、離れ離れになった子どもたちが集まる機会を持つつもりだ。 最近、その加藤のもとにうれしい知らせがあった。声をかけていた町中心部に住む河合谷出身者が「小学3年の長女を連れてこれから加わるよ」と言ってくれたのだ。新しい「絆(きずな)」がほんのわずかだが、生まれつつある。=敬称略(黒川和久) PR情報この記事の関連情報暮らし
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