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05年に入り、世界の経済は波乱含みとなってきた。経済の成長が自己目的となり、マネーの拡張作用を使いすぎたことが不均衡や歪(ひず)みの原因となっている。自然環境の破壊や人心の荒れを見てもここは一度立ち止まって、何のための経済だったのか、人間の幸せとは何か、なぜ私はこの人生なのか、といった基本の問いに向かい合う時が来ていると思われる。
物の豊かさは必要な条件だが、それだけで幸せになれるわけではない。貧しくとも、また重い病であっても、充実して生きている人は少なくない。経済学は経済的な利害だけで動くという人間像を前提としてきた。しかし現実の私たちには、たとえ試練にあっても貫きたい志や、他人の痛みを放ってはおけない人情や、人間を超えた自然や宇宙の法則に対する畏敬(いけい)や、憧憬(どうけい)を持ち合わせている。それが織りなす人生の豊かさや深みこそが、経済や医療や教育など、文明を支えるそれぞれの分野が奉仕する目的であろう。
その意味で注目すべきは、これまでの文明の前提には、私たちの生き様と現実の様々な出来事の関係を切り離す、いわゆる科学的な物の見方があったことである。これは事態の一面ではあるが、全体ではない。私たち自身の生き方と事態の相互関係、相互作用にこそ、問題の発生源も、解決の鍵もあるからである。
現実に起きている痛みに対して、これを避けるのではなく、自分事と引き受けて解決しようとするところに強い意志のエネルギーが湧出(ゆうしゅつ)する。これは効率主義の行き方とは対照的だが、このような本源的なエネルギーを引き出し、それを誰もがもつ願いや志に結びつける知恵を磨くところに新しい道がある。問題解決の主導権をこのように取り戻すことは新しい世紀のテーマである。経済の目的もそのための条件づくりにあるととらえれば、もっと政策の自由度は増し、思い切った改革もできると思われる。(瞬)
(01/07)
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