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| home >マネー >〈特集〉年金解剖学 >週刊朝日・AERAから |
年金というと取っつきにくいが、国会で審議中の改革法案には、老後の生活設計を考えるうえで、見逃してはならない「死角」がある。物価が上昇しても、その分は年金額が上がらない仕組みが導入されるためだ。わかりやすいように、法案と厚生労働省の経済前提をもとにした小説に仕立ててみた。 ◇
「ごめんなさいね。このところ、すっかり物価が上がってしまって。最近は、私たちが年金をもらい始めたときよりも1割も高くなっているのよ。なのに、年金はほとんど上げてもらえないじゃない。本当に心細くなってしまったわ」 時は2014年。首都圏に住む元サラリーマンの院居金男(70)は、妻の年子(68)と2人で暮らしている。子供が3人いるが、すでに独立した。年金改革があった04年に60歳で定年になり、趣味のカメラを楽しむ年金生活に入った。50歳のときから計画を立て、自分としては老後の生活設計は万全のつもりでいた。 支給が始まったときの年金額は部分年金だったため、月額で10万円だった。それが、62歳になった06年からは満額の19万円が支給されるようになった。 06年は物価が目に見えて上がり始めた年だった。元旦のニュースで、キャスターは伝えた。 「明るいニュースが飛び込んできました。日銀総裁はきょう、記者会見をして、『デフレ脱却』を宣言しました。昨年は消費者物価が0.5%上がり、今年も引き続き上がる見込みです。これで、日本経済もようやく本格回復に向かう、という見方が広がっています」 一緒にニュースを聞いていた年子が言った。 「デフレが止まったってことは、これで、年金減額もなくなるのかしら。去年も少し物価が上がったのよね。でも、おととしに下がった分ということで、年金額は下げられていたじゃない。『許せない』って怒ってる友達もいたけれど、『決まりだからしょうがない』って、みんなで話したのよ。今年は、決まりなんだから、上げてもらえるわよね」 金男は、自信たっぷりに答えた。 「そりゃあ、そうさ。国の年金は、物価が上がっても、生活ができるように支給額が上がる『物価スライド』が保証されているから、老後の生活の支えになるんじゃないか。だから、物価が下がったときには年金額が下がるのもルールなんだ。保険料を払う若い人たちも大変だからな。今年から満額の年金が出るようになる。それに、君にも少しだけ年金が出るようになるじゃないか。これから2人で楽しもうよ」 昭和21(1946)年生まれの年子たちの年代から、女性も厚生年金の「部分年金」が始まった。結婚前に3年間だけ働いて、金男と職場結婚した年子には、60歳から月額7500円が支給され、61歳からはそれが1万2500円に増えた。 ところが、06年4月、金男に対する年子の信頼が揺らぐ「事件」が起きた。4月からの年金額に、05年の消費者物価の上昇分0.5%が反映されなかったのだ。 厚労省の説明はこうだった。 「消費者物価は99年から下がっていますが、『物価スライド』による年金減額のルールが適用されたのは03年度からです。まだ反映されていない物価下落分が残っているため、上げることはできません。いまの年金額は、本来もらえる額よりも、まだ多いのです」 さらに、06年の物価上昇は1.2%にのぼった。ところが、07年の年金額は、またもや据え置かれた。 金男にとって間が悪いことに、この年は、「離婚の際の年金分割」が施行される年だった。4月からの施行を前に、テレビは、年金分割の特集をやたらと流す。 わかりやすい解説で知られる社会保険労務士の文勝進が説明する。 「簡単に言うと、ご主人が60歳からもらい始めていた年金を二人で分けるということです。この『部分年金』が月額10万円だった人は、5万円が奥さんの取り分になります。65歳になれば、専業主婦の奥さんにも月額6万5000円ぐらいが支給されて、いま、ご主人に支給されている年金の一部も奥さんのものになります。生まれた年によって違いますが、月額1万円前後になります。へたをしたら、ご主人よりも年金が多くなる人もいるかもしれませんよ」 金男が舌打ちをした。 「なんだ、このやろう、無責任なこと言いやがって。これで離婚が増えたりしたら、こいつのせいだぞ」 ●物価の上昇分は年金上がらない これに対して、年子が言った。 「何を言ってるのよ。あなたの言うことなんて、何にもあてにならないじゃないの。物価が上がっても年金額も上がるから大丈夫なんて、よくおっしゃいましたね。あなたの受け売りで話していたから、私まで信用なくしてるのよ。いい? 物価が1.7%も上がっているのに、年金が上がらないということは、1.7%年金を下げられたのと同じだって、新聞に書いてあったわよ。本当にあてにならないんだから。あーあ、私も65歳になるのが楽しみだわ」 そんなことを話していると、テレビ番組がコマーシャルに切り替わった。 「04年の年金改革は国民を欺く改悪でした。われわれ年金党が政権を取れば、現役世代の賃金上昇に合わせて年金額を上げる『賃金スライド』を保証します。働く世代の賃金は、いま2%も上がっています。年金受給者はこのあいだまで、若者たちのために我慢して、年金減額を受け入れたのではありませんか。いまこそ、その貸しを返してもらうべきなのです」 年金党は、07年に「年金受給者の会」の楼後豊会長が旗揚げしたばかりの政党だった。この秋の総選挙を前に、年金額が増えないことに不満を持つ年金受給者の支持を広げていた。 「やっぱり、おれも年金党に投票するかな」 年男がそうつぶやいたところに、 「オヤジ、いいかげんなことを言うなよ。こいつはバブルのときにいいかげんなことを言って煽っていたエセ・エコノミストじゃないか。適当なことを言うのがうまいだけのやつなんだよ」 こう言いながら割り込んできたのは、たまたま実家に帰っていた長男の保だった。保はこのとき、中堅商社で課長職にあった。 年男は反論した。 「何を言ってるんだ。04年の年金改革には『死角』があったんだ。物価が上がっても年金が上がらないなんて、考えもしなかったぞ」 保も負けていない。 「だいたいさあ、法律をちゃんと読めよ。物価が上がった分だけ年金額を上げるなんて、どこに書いてある? いまは、『マクロ経済スライド』っていうんだ。少子化や高齢化が進むと、物価の分だけ年金額は上げられないんだ。負担しているおれたちの側にも立ってくれよ。いま、保険料は月給とボーナスから15%も取られてるんだ。毎年上がってるんだよ。それも、オヤジたちに年金を出すためなんだからな」 こんな会話が日本中であったためか、年金党はあまり議席を取れずに終わった。それどころか、2010年秋の総選挙のときには、「負担者党」ができて、こんな主張を展開し始めた。 「われわれはいったい、だれのために働いているのでしょう。この高い年金の保険料。もう16%を超えました。年金受給者に搾取され、子育てをする余裕さえありません。こんなに保険料や税金が高い国に生まれてくる子供はかわいそうだ。これ以上に少子化が進めば、この国は崩壊します。私たち『負担者党』は年金額を引き下げて、これ以上、保険料を上げさせません」 これを聞いた金男は、さすがに頭にきた。金男が満額の年金を受け取り始めてわずか4年だというのに、物価は5.7%も上がった。それなのに、年金額は1.7%しか増えていない。一方で、現役世代の賃金は9.4%も上がっているのだ。 「おれたちは、定年前にゴミ扱いされて、給料を大幅に減額された。それでも耐えて、保険料を払ってきたんだ。いまみたいに給料が上がっているときに、少しぐらい負担が増えたからといって、ガタガタ言うんじゃない」 こうした声に押されて、「年金党」は躍進した。それに負けじと、「負担者党」も大宣伝を展開したため、若者の投票率も大きく伸びた。選挙結果を受けて、政界で大再編が起きた。年金党と負担者党が2大政党になってしまったのだ。 国会は、年金制度でもめつづけたが、制度はなかなか変わらなかった。 再び、2014年の食卓。 年金党の勢力は必ずしも伸びていない。60歳を過ぎても働き続ける人が増えたためだ。働けば保険料を取られる。保険料負担は17%を超えたが、まだ、毎年上がる。年金党の支持者は「余裕がある人」と見られている。 06年から、物価は10.0%上がったのに、年金は2.1%しか上がっていない。その間に、現役の賃金は18.9%も上がった。 ニュースキャスターは、にこやかに話している。 「物価は毎年1%程度の伸びで安定しています。政府は、賃金は毎年2%程度の伸びを続けていくと見込んでいます。日本経済は極めて安定した状態にあります」 金男がつぶやいた。 「まだまだ年金が減るってことだな。おれも、せめて65歳まで働くんだった。きちんと法律を読んでおけば、こんなことにならなかったのに。申し訳ないな」 最近、近所の介護施設でパートを始めた年子が言う。 「いいのよ、私が働くから。子供たちも、最近、こづかいをくれるようになったのよ。子供が3人いて、本当によかったわ。感謝しないと」(週刊朝日・松浦新)
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